パナソニック_ソウゾウノート
パナソニックの人は、一人ひとりが志とそれぞれの夢を持っています。そしてそのすべては「物も心も豊かな理想の社会」の実現のためにあります。そんなパナソニックで働く一人ひとりの志や夢をお伝えします。2021年5月からは毎週日曜日に掲載していきます。おたのしみに。
大阪・関西万博に向けたパナソニックの想いや情報を発信していきます。
人の想いを察し、場になじみ、時に順応していく 社会を見つめ、未来を丁寧に創りつづける パナソニックのデザインフィロソフィー Future Craft を紐解きます。
ビジネス向けのモバイルPCとしてレッツノートが目指すのは、働く人が本来の仕事に集中し、自分の価値を高める働き方を実現する力になることです。このマガジンでは、あるべき姿を模索するレッツノートチームの思いをお伝えしていきます。いこう、ビジネスの現場へ。
働く人のためのモバイルPC、レッツノート。頑丈さや軽さだけではないレッツノートの価値は、さまざまな立場の「人」が生み出すエネルギーによってつくられているのです。このマガジンでは、知られざる現場の人の視点から、レッツノートの舞台裏を紹介します!
2023年8月20日(日)、神戸・ポートアイランドにあるバンドー神戸青少年科学館にて「ソウゾウの実験室」イベントを開催。夏休み真っ只中の小学生18名が参加しました。 テーマは「未来の夢をかなえる道具をソウゾウしよう」。 「あんなことに挑戦してみたいな、こんな世界になったらいいな」を自由に想像し、楽しみながら創造するワークショップです。 冒頭では、2年後に開催が迫る大阪・関西万博にちなんだクイズやパナソニックの取組みを紹介。さらに大阪・関西万博のテーマである「いのち輝く未来社
「どれだけ真理に迫るための失敗を生み出せるか」。永縄智大は、やさしい表情で、そして力強く語る。所属する光学デバイスビジネスユニットで、永縄はガラス素材を使ったレンズ成形と向き合っている。デスクで解析したり図面を描いたりするよりも、ものをつくり、手を動かして実験検証していく時間の方が圧倒的に長い。緻密な計算を積み重ねる業務を連想させるが、良い仕事をするために必要なのはひらめきであると話す。 「職人的な仕事ですが、頼りにしているのは実はひらめきです。でもそれは、根拠のない直感や
「え、ロボットってそんなこともできないんだ!」。その驚きが、ロボット開発の世界にのめり込む最初の一歩だった。大学でロボットの授業を受けていた時、教授の話に心が動いた。「ロボットって、早く動けたり、大きなパワーを出せても、知的な行動はできない。たとえば教室の後ろから教授のいる教壇までプリントを持っていくような、人間には簡単なこともできないという話をしてくれました。その時『それなら、私ができるようにしたい!』という気持ちが湧いてきたんです」。 「できないことを、できるようにする
小さい頃から工作が好きで、いつか自分のつくったものを売りたいと雨宮瑞希は考えていた。ただ、雨宮が少し他の人と違ったのは、そこからさらに踏み込んで「何でこの商品が選ばれるんだろう?」というところにまで興味を抱くようになったこと。 きっかけは、小学生の時に流行った消しゴム判子。自分の消しゴム判子の方が上手につくれているのに、あの人の消しゴム判子の方に人気が集まる――なぜだろう。それが最初にヒトの心に興味を抱くようになった始まりだ。それ以来、ヒトの気持ちや感情とものの間に生じる数
できそうなことと、できるか分からないこと。2つの選択肢があった場合は、できるか分からない方を選ぶ。長瀬綾佑にはそういうところがあった。 理系の道を選んだのも、世界史や日本史は教科書を覚えれば何とかなりそうだったが、数学の方は公式を覚えても問題を解けそうになかったから。大学の学部を情報系の学部に決めたのも、プログラミングに興味を持って友達から本を借りたが、それがまったく理解ができなかったことが理由だった。 「別に難しいことを考えていた訳じゃなくて、ただ何かを専門的に突き詰め
そこに行けば友達と会える。英語を習い始めたのは、たしかそんな理由だったと思う。小学校の低学年だった宮田千里にとって、勉強をしているという感覚もあまりなかった。英語はたのしいもの。その感覚が、宮田に自然と英語力を付けさせていった。中学でも、高校でも、得意な科目は英語。そして、いつかこの英語を使って自分の目で世界を見に行きたい、と思うようになった。 大学の学部も、世界について学べるグローバル地域文化学部を選んだ。そして大学3年生の時、ついにその時が来た。アメリカへ留学することに
2023年4月23日、パナソニックグループが主催の「こども博覧会2100」をテーマとしたイベント「ソウゾウの実験室」が開催されました。 2025年の大阪・関西万博のパビリオン「ノモの国」を担当する建築家・永山祐子さんを特別ゲストに迎え、ワクワクするようなトークセッションを入り口としてワークショップへ。建築家26名の子どもたちが5チームに分かれ、「2100年のこども博覧会」を想像しながらストーリーをつくり、そこに登場するパビリオンや催し、モビリティなどを自由に形にしました。
どうして日本では、自然エネルギー発電の普及が進まないのだろう。大学生の坂本篤は、そんな疑問を抱いていた。自然とは予測不能なもの。風力発電や太陽光発電は、必要な時に必要な電気が得られなかったり、天候などの条件が良い時には必要以上に発電され、むしろ電力をロスしなくてはならない場合もあったり、自由自在に発電ができない。そこにある壁と社会のベース電源になれない現実を知った。 ならば、優れた電池があれば、そこに電力を蓄えて、余すことなく電力を使えるのではないだろうか。また、これから自
ハンディキャップがある人もない人も、音楽でつながりあえる――。視覚障害※のあるお子さんを持つ社員の思いから生まれたのは、柔らかな球体を手でもむだけで演奏ができる電子楽器「モミダマ」のアイデアです。音楽を通じて新たな価値を探求しようと、デザイナーの針谷爽をはじめ部門の枠を越えたエキスパートたちが集まりました。プロジェクトメンバーが現在地とこれからを語り合います。 ※障害の漢字表記に関して:スムーズな読み上げを実現するために、障害という単語を漢字で表記しています。 ⦿モミダマと
「小さい頃の夢は外交官でした。それがどんな仕事なのかよく分かっていなかったけれど、いつか生まれ育ったソウルを飛び出して、世界のたくさんの人のためになることをやってみたかったんです」。その夢は、成長するにつれ少しカタチを変えていった。そして大学で機械工学と経営について学ぶようになる頃、自分が本当にやりたいことは何かをもう一度考えてみた。 やっぱり世界を舞台に、多くの人に新しい価値を届けるような仕事がしたい。それは絶対だ。でもそれには、どこの国に行けばいいだろう。アメリカ、ヨー
小さな頃から得意分野は理系科目で英語の成績はいつも赤点だった。そんな鈴木だが、高校1年の夏にイギリスへと短期留学、そして高校2年からはアメリカに単身で移り住み、最終的に十代後半から社会に出るまでの7年間を海外で過ごすことになる。 「イギリスでの短期留学の時、いろいろな世代が集まるプレゼン大会がありました。現地の中学生や香港から来ていた小学生が胸を張って話す姿に圧倒されました」。伝えたいことがあるのに伝えられない、そんなもどかしさに打ちのめされた鈴木が出した答えは「理屈じゃな
「小さい頃から、日本のくらしに憧れていたんです」。幼少期を北京で過ごした韓伊婧は、日本のアニメを観るたびにキラキラと目を輝かせたという。「住んでいる家がすごくきれいに見えたし、食べ物もおいしそうで。主人公の背負っているランドセルを見て、日本の子どもってあんなオシャレなリュックで学校に行ってるんだって」。その興味は歳を重ねるごとに強まっていった。 中学生になると、日本のアイドルグループが出演している番組とドラマに夢中になり、毎日のように観るようになった。日本語をこっそり勉強し
2013年のノーベル物理学賞。そこで話題になったヒッグス粒子を発見した実験グループに、門田隆太郎は翌年加わった。学生のあいだは就職してから使えるスキルなど一切考えず、ただひたすら自分が興味を持ってやりたいと思った研究に没頭した。実験設備はスイスのジュネーブ郊外にあり、そこへ訪れて研究をすることもあった。だから、会社のインターンシップに参加することはなく、また就職活動スタート時も日本にいなかった。 日本に戻って本格的に就職活動を始めて面接で研究内容を詳しく説明すると、親身に聞
軽さ、頑丈さ、バッテリー駆動時間の長さにこだわってつくられ、モバイルワーカーの仕事道具として支持されてきたPC、「レッツノート」。そんなレッツノートは、2022年から新たなブランドメッセージとして「いこう、ビジネスの現場へ」を発信しています。このマガジン「レッツノート ブランド読本」では、あるべき姿を模索するレッツノートチームの思いをお伝えしていきます。 誕生から27年を迎えるレッツノートは、働き方の変化に合わせて進化を続けてきました。今回、レッツノート事業に関わる2人に、
「たとえ不安でも挑戦する。やらなきゃ自分を変えることはできない」。その言葉が、鈴木裕太の人生を物語っている。鈴木は、生まれつき先天性の障がい(上肢障がい)を持っていて、手足に不自由がある。ハサミやカッターを使用するような細かな作業を得意としない。でもそれが、どうすれば人との差を埋められるかを考え、工夫することを習慣化させてきた。「自分は自分でしかない。ならば、与えられた身体で何ができるのか」。生きる力は、そうして磨かれていった。 幼い頃から母は、いつかは親元を離れて生きてい
人生が変わった瞬間を覚えている。きっかけは何となく観ていたテレビだった。人の代わりに家のことをやってくれる機械のニュースに釘付けになった。まるでSF小説に出てくる未来のような光景にワクワクすると同時に、足がうまく動かせない自分に代わって機械が働いてくれるくらしを想像した。いつか自分もそんな機械をつくってみたい。そう思ったのは、スー ヅーシャンがまだ小学校3年生のことだった。 中学になると電子技術研究部という部活に入り、ロボットをつくり始めた。そこは自分たちでつくったロボット