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「人や環境を傷つけない買い物」のための3つのポイントって?0から始める「エシカル消費」の手引き(後編)

パナソニック ホールディングスは、くらしにおける問いと対話をテーマにした『q&d』活動を展開しています。q&dでは、一人ひとりが自分にあった理想のくらしを見つけるときによりどころとなる「問い」を立て、読者のみなさまと共有しています。
 
本記事は「エシカル消費」について、消費者倫理・行動論学者の福川恭子さんと考える対話の後編です。
 
(前編の記事はこちら
 
商品を作るのに関わる人たちや、作る過程で影響を与え得る地球環境に対して、しっかりと配慮している商品を選ぶことが「エシカル(=倫理的な)消費」である。それが大事なことだと頭では理解しつつも、目の前の商品がエシカルか、そうじゃないかを判断する基準が分からない……といったモヤモヤを抱えている人は多いのではないでしょうか?
 
倫理観や道徳観は、時代や場所によって流動的で、定義するのが難しい。そんな背景がある中で、私たちはどのように考えれば「エシカル消費」を実践することができるのか、q&d編集長の松島が福川さんと対話しながらそのヒントを探っていきます。

福川 恭子(ふくかわ・きょうこ)
消費者倫理・行動論学者。一橋大学経営管理研究科経営管理専攻教授、同大学商学部教授。主な研究テーマは、消費者意思決定と倫理、企業の社会的責任など。


日本と海外の「エシカル消費」の温度差。「信頼」と「思考停止」は隣り合わせ?

 
q&d編集長・松島 茜(以下、松島)
先ほど「倫理は社会のルール」という話がありましたが、そうであれば日本と海外におけるエシカル消費の違いも気になります。エシカル消費は日本だけでなく、世界でも注目を集めているのでしょうか?
 
福川恭子さん(以下、福川)
欧米では日本よりずっと前から広がって浸透していますね。ただ、日本とは感覚が違うと思います。欧米におけるエシカル消費は「消費者が政治的な声を上げる行動」のひとつとして捉えられています。
 
松島
政治的な行動、ですか。それは、気候変動の問題などに対して市民の人たちがデモをしているのと近い感じでしょうか?
 
福川
まさにそうです。自分たちで情報を集めて、良し悪しを判断して、おかしいと思ったら声を上げる……日本におけるエシカル消費は、そういったアクティビティとして認識されていないですよね。
 
松島
そうですね。大半の人は「SDGs」と同じような印象で、目指すべき在り方を示す標語のように捉えている気がします。
 
福川
日本はそもそも政治的活動に慣れていません。他国と比較してみると、個人が声を上げなくても経済が順調に発展して、安心安全にくらせる社会が成り立っていった国ではありますから。良くないと思うことがあったとしても、どうやって社会に向けて声を上げて行動を起こせばいいか分からないわけです。

左がq&d編集長・松島茜、右が福川先生

 松島
企業や政治家という代理者がうまく働いてきて、「自分で行動して社会を良くする」という必要性が薄かったからこそ、その実践が足りていないと。

 福川
その背景には「政府や企業に任せておけば彼らのほうが詳しいし、間違えをおかすわけがない」という感覚が根強くあると思います。それは良く言えば信頼ですが、悪く言えば思考停止、責任転嫁でもあります。 

松島
なるほど……。 

 福川
まず、そういう構造を覆していくには、消費者一人ひとりが「自分の意見には意味も価値もある」と認識することが必要だと思います。欧米では、最終的な方向性に影響しなかったとしても「自分の意見を言うこと自体が大切だ」と小さい頃から教育されています。だからこそ、声を上げる人たちが多いのだと思います。 

松島
たしかに日本では「私がこれを言ったところで何も変わらないだろう」「言わずにやりすごしたほうがいい」と思う人が多そうです。 

福川
「自分の意見に意味がある」と感じられていないと、自分の購買活動が社会に対して影響を及ぼすとは考えられません。「自分ひとりが何かを言っても、どうせ変わらない」と思ってしまう。 たとえ周りの人たちの意見や基準と違ったとしても「自分はこれがいいと思うから、こうします」と選択して主張する――それが日常で自然にできるような自信を持つことが、日本でエシカル消費の機運を育む第一歩なのではないでしょうか。そして、消費者の一人ひとりが自信を持つための一番の近道は、「選択の根拠になるような情報を自分で探して知っていくこと」だろうと、私は考えています。

「エシカル消費」を私に浸透させる、3つのポイント

 松島
いま、エシカル消費を育むための一歩として「自分で探して知ること」というお話がありましたが、これから私たちがエシカル消費と向き合っていく上で、ほかに大切にするべきことはありますか?
 
福川
基本的に私たちの倫理観が機能するのは、「私」と「誰か」の関係性の中です。「私」の買い物によって他者が傷ついていると分かれば、倫理観が働きます。でも、グローバル化した今の世界においては、目の前の商品がどのようなプロセスを経て作られたか分かりにくくて、誰かが犠牲になっていたとしても見えなくなっていることが多いのです。
 
松島
たしかに、見えないものを意識するのは難しいですね。
 
福川
それを踏まえて、買い物における倫理観を育むためのポイントは、3つあるのではないかなと思っています。
 
1つ目は「聞くこと」です。商品や企業のアクションに対して「これって何なんだろう、どういうことなんだろう?」と疑問に思ったら、些細なことであっても聞く勇気を持つ。企業側も「消費者から聞かれたら答えなければ」と意識するはずで、聞かれなければ何も生まれません。だから「企業に言及する機会を作ってあげる」と考えればいいと思います。
 
松島
ホームページでの問い合わせやSNSなど、聞こうとすれば聞けるチャネルは今の時代しっかりありますものね。それを有効に使っていこうと。
 
福川
2つ目は「議論する力をつける」。これは、自分の意見を言うだけでなく、相手の意見も聞いて相手の立場を理解する力も含みます。相手の意見を自分の中に一度取り入れて、そこからまた新たな主張を作っていくというか……お互いに「相手の立場になって理解しよう」というマナーを持っていたら、建設的な意見交換ができるようになるはずです。
 
松島
なるほど。そういう議論を重ねるほどに、他者のことを想像するエンパシーの範囲や種類が増えて、さらに議論が上手になっていく気がします。 

福川
3つ目は「少しずつ拡張していくこと」です。いきなり身の回りのすべての買い物で100%こだわろうとすると、自分を犠牲にすることになって長続きしません。たとえばファッションであったり、家電であったり、どこか自分が気になるプロダクトカテゴリーから、その商品がどのように作られているかとか、エネルギー効率がいいものはどれだろうとか、自分で調べて考えてみる。 何かひとつの物やカテゴリーで調べ抜けたら、受動的ではなく自分で決めることへの変化の一歩を踏み出せていると思います。そして今度は他のカテゴリーにも応用してみる。そうやって自分の判断軸を蓄積していけるといいですね。 

松島
半径5mからスタートして、少しずつ広げていく感じですね。 

福川
一個人がすべてのものにこだわろうとするのは難しいですが、一人ひとりが「ここはちょっと倫理的にこだわってみよう」と思えるカテゴリーを要所要所で持って、できるところから広げていけば、結果的に社会全体にエシカル消費が広がると思いますよ。

「リーズナブル」は価格の話だけじゃない。本当に“納得”のできる買い物って何だろう?

福川さんの話を受けて、自分を犠牲にせずに倫理的な消費を続けていくには「納得感」が大事なキーワードになると感じました。 

ただ、私たちが日頃の買い物の納得感において優先する条件はどうしても「価格」に偏りがちです。「合理的な、道理に合った、正当な」を意味する「リーズナブル(Reasonable)」が、日本では価格の手頃さを指すことにも、その価値観が表れていると言えるでしょう。しかし、実際は「安さ」以外から得られる納得感にこそ、自分が大切にしたい意思や考え方が表れてくるはずです。 

もうひとつ、福川さんの話から感じたのは「エシカル消費は、社会のことをより深く知って、多面的に物事を見る行為なのだ」ということです。そう捉えると、エシカル消費は「誰かのため(利他的な行為)」なだけではなくて、自分にとっての発見や学びにも繋がっていくものだと言えます。また、何も意識せずに買い物をしたときの一時的な満足感ではない、心に残る「消費」が生まれ、もっと深くて長く続く自分自身への「還元」があるのではないかとも思います。

 「半径5mのくらしの中で、どうエシカル消費を実践していけばいいか?」という問いから始まった今回のダイアローグ。福川さんのお話にもあったように、いきなりすべての領域でやろうと無理をせずに、自分の興味のある領域や趣味の世界などから取り組んでみることを大切にしていきたいと思います。

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(※本記事は過去に『q&d』本体サイトに掲載されたものを、note用に再編集して転載しています)

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