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実は私たち、そんなに倫理的じゃない?0から始める「エシカル消費」の手引き(前編)

パナソニック ホールディングスは、くらしにおける問いと対話をテーマにした『q&d』活動を展開しています。q&dでは、一人ひとりが自分にあった理想のくらしを見つけるときによりどころとなる「問い」を立て、読者のみなさまと共有しています。

本記事のテーマは「エシカル消費」です。

人や自然環境に配慮した買い物をする「エシカル(=倫理的な)消費」。良いことだとは分かるし取り入れたいけれど、お金がかかりそうなイメージが先行していて、なかなか自分ごととして考えにくい――そんな理想と現実のギャップに思い悩む人も多いのではないでしょうか。

エシカルな買い物って、一体どういうことなのか。どうしたら身近な範囲から倫理的な消費を実践できるのか……q&d編集長の松島が、消費者の意思決定と倫理の関係について研究されている福川恭子さんに聞きました。

福川 恭子(ふくかわ・きょうこ)
消費者倫理・行動論学者。一橋大学経営管理研究科経営管理専攻教授、同大学商学部教授。主な研究テーマは、消費者意思決定と倫理、企業の社会的責任など。


「そもそも私たちは倫理的じゃない」と気づくことが大事


q&d編集長・松島 茜(以下、松島)
福川さんはエシカル消費、正確に言うと「倫理的な消費」について研究されていらっしゃいますよね。この言葉自体は最近よく耳にするのですが、実際どう自分の生活に取り込んだらいいのか分からず、福川さんにお話をお聞きしたいと思いました。

福川 恭子さん(以下、福川)
エシカル消費の研究者というと、その道を極めている人のように思われやすいのですが……最初に断っておきたいのは、私の研究は「みんな、そんなにエシカルな人間じゃないよね?」という問いから始まっています。

松島
えっ!それはどういうことでしょう?

福川
私自身「環境的、人道的にはこういう選択をするべきだけど、なかなかできないなぁ」と感じることが、昔からたくさんありました。だからこそ「消費者は完璧な人間ではない、いいことをしようと思ってもできない」という認識から研究をスタートしたいと思ったんです。

松島
専門家である福川先生も完璧じゃないと聞くと、少し安心します(笑)。

福川
私の元々の研究テーマは「非倫理的な消費をする人の動機」で、法的に良くないとされている万引きや保険金詐欺、海賊版の販売などを研究の対象にしていました。「なぜ悪いと分かっていることを、人はやってしまうのか?」からスタートして、そこから「なぜ良いと分かっていることでも、人はやらないのか?」という問いについても考えるようになったのです。

松島
いま、非倫理的な消費の事例をいくつか挙げていましたが、そもそも「倫理的である/倫理的ではない」とは、どういう基準で判断されるのでしょうか。

(左がq&d編集長の松島茜、右が福川恭子さん)

福川
元も子もないようなことを言ってしまいますが、「倫理的な行動とはこういうものです」とシンプルに言える解はないんです。そのことについて詳しくお話しする前に……松島さん、「倫理」と「道徳」の違いって分かりますか?

松島
え、えっと……。

福川
急に言われても困りますよね(笑)。一見似ていますが、厳密には異なります。「倫理」は、ある社会集団内で共有されていて、大多数の合意がとれているルールのことです。一方、「道徳」は個人の善悪の価値観です。もちろん道徳は、倫理の影響を受ける面もありますが、必ずしも倫理と一致するものではありません。

松島
なるほど、倫理は社会のルールで、道徳は個人のルールということですね。

福川
はい。倫理観は「どういう地域で育ったか、どういうコミュニティに属しているか」によって大きく異なることがありますし、道徳観はさらに「どういう経験をしたか、どんな価値観を持つ他者と出会ってきたか」によって個々で変化し得るものです。つまり、人間の倫理観や道徳観って、とても流動的なのです。それが面白いなと思うからこそ、私はこの研究を続けています。

「倫理的に正しい消費」の定義は不可能?


松島
倫理観や道徳観の流動性……なんとなく分かるようで、まだピンと来ていないかもしれません。

福川
そしたら、ちょっと想像してみてください。松島さんは、巨大チェーンのスーパーと近所にある馴染みの小さい商店とで、商品を壊してしまったとします。どちらのほうが罪悪感が大きいでしょうか?

松島
たぶん、馴染みの店のほうだと思います。

福川
そうですよね。同じ行為であっても、状況や関係性によって「悪い」と感じる感覚は異なるわけです。もっと言えば「Aという国でやったら犯罪」だけど、「Bという国でやっても犯罪にはならない」なんてこともあったりする。

つまり「この行動は(どんな状況下でも間違いなく)エシカルです」と定義するのって、厳密には不可能なんですよね。だからこそ、私の論文では「非倫理的な行動」と断定的な表現は使わず、“倫理的な問い方のできる行動”という意味合いを含んだ「倫理的に問題になりうる行動(Ethically Questionable Behavior)」と呼んでいました。

福川先生の論文

松島
なるほど。よく考えると違いますね。

福川
もうひとつ、流動性の事例を挙げましょう。今の時代、ほぼ誰もが持っているスマホ。これは「非倫理的消費」の代表格なのです。スマホに使われているレアメタル(希少鉱物)をめぐって、その産地で紛争が起きているからです。

この事実自体を知らない人も多いと思いますが、知ったとしても多くの人はスマホを手放せないですよね。「販売している企業は罰せられていないし、正規に売られているものを買ったのだから、私は悪くない」と、自身の行動を正当化する人も出てくるでしょう。

松島
たしかに、いくら非倫理的な物だと言われても「スマホを持たない」という選択をするのは、なかなか難しいです。

福川
そんなふうに人間は「良いことだ」と分かっていてもやらなかったり、逆に「やらないほうがいい」と分かっているのにやってしまったりすることが、たくさんあるのですよね。

松島
知らず知らずに、たくさんの「倫理的ではない行為」を良しとしながら生きていると……。

福川
ただ、それは個人としては合理的な判断でもあります。人は日常の中で大量の決断をする必要があり、そのすべてで倫理的に完璧な判断をしようとしたら、きっと疲れ果ててしまうはずですから。

松島
倫理的に正しいものしか許されないのは窮屈だし、きれいごとばかりになって本音で生きられなくなるのも違う気がしますね。

福川
そうですよね。何も分からないまま買っているわけではなくて、知った上で自分でよく考えて納得した購買であれば、それが他の人にとっては「社会的に良くない」と感じるものであっても、その人にとっては「良い購買」と言えると思います。

だからまずは「私たちは普段から“倫理的ではない消費”をしているんだ」と自覚して、その上で「それは自分にとって、本当に納得できる判断なのか?」と問い直していくことが、世の中で言われているような「エシカル消費」の実現につながるでしょう。

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前編はここまで。後編では「エシカル消費」を実践するための3つのポイントなど、さらにくらしの実践につながるようなお話に踏み込んでいきます。ぜひご覧ください!

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(※本記事は過去に『q&d』本体サイトに掲載されたものを、note用に再編集して転載しています)

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