「スポーツがくれなかったもの」──LGBTQを遠ざけてきたスポーツのこれまで
4月30日現在、「#スポーツがくれたもの」には、1,930件もの投稿が寄せられました(ありがとうございます!!!)。投稿されたみなさんの「スポーツとの関わり」を見ていくと、スポーツが人々に与える力の素晴らしさを感じられます。
けれども、今日お送りするのは、「スポーツがくれなかったもの」のお話です。
ゲイ・アクティビストの松中権さんはNPO法人グッド・エイジング・エールズ代表で、LGBTQなどのセクシュアル・マイノリティに関する情報発信を行う施設「プライドハウス東京レガシー」の代表を務めている人物。
松中さんは、自身のゲイという視点から、「私にとってスポーツは、決して居心地のいい場所ではなかった」と振り返ります。実は、スポーツの世界では、これまでLGBTQの存在が「見えないうちに」排除されてきたのです。
いったい、スポーツとLGBTQとの距離は、どうして開いてしまっていたのでしょうか?
取材・文:萩原雄太
スポーツは最後のフロンティア
2021年の箱根駅伝、総合優勝を遂げた駒澤大学の大八木弘明監督が選手に「男だろ!」「男なら行け!」と檄を飛ばしたことが議論を呼びました。ジェンダー平等が前提とされている会社の中であれば大きな問題となってしまうであろうこの発言に、違和感を覚える人も少なくなかったのです。ゲイ・アクティビストの松中権さんは、この背後に、スポーツに特有の、ある問題を見出します。
松中: この発言の背景にあるのは「スポーツだからしょうがない」「スポーツは例外だよね」という、スポーツ例外主義。もともと、スポーツは男性中心主義的な色合いが強く、先輩後輩の序列もつくられやすい世界。そのため、旧態然とした考えがアップデートされず、ジェンダーバランスがいびつになりやすいんです。
そのため、LGBTQの文脈において、スポーツの世界は「ファイナルフロンティア」と呼ばれてきました。教育・エンタメ・職場といった他の分野での理解が進んでも、スポーツの世界には理解がなかなか浸透しないんです。
男性中心主義が支配し「強さや速さこそが正義」とされがちなスポーツの世界。そんなスポーツに対して、これまでLGBTQの側も忌避感を抱いてきました。2011年にアメリカのLGBTQの学生を対象にして行われた『GLSEN's 2011 National School Climate Survey(全米50州で、13~20歳のLGBTQ学生8,584名を対象) 』という調査では、次のような結果が発表されています。
松中: この調査によれば、LGBTQの子どもたちは、学校の中における「安心できない場所」として、イジメが発生しやすい「運動場」「更衣室」「体育館」といったスポーツに関連した場所を挙げています。また、学校教育におけるLGBTQの学生による体育参加率は7割で、学外でのスポーツ活動は2割程度にまで落ち込んでいる。彼らに対しては、スポーツへのアクセス自体が閉ざされているんです。
松中さん自身、テニス、バスケ、陸上ホッケーと、中学から大学までスポーツに打ち込んできました。スポーツを通じてチームで勝利を求める楽しさを得る一方、そこにはいくつもの嫌な部分が目についたと振り返ります。
松中: 部活に入っていると「どれだけヤッたか」というような猥談もするし、「あいつらホモなんじゃねーの」という冗談でみんなが笑ったりする。僕にとっては、そんな会話は「自分がゲイであることがバレる」「居場所がなくなる」という恐怖を感じるものでした。でも、一緒になって、笑うしかなかったんです。
どこか自分のことを笑われている感覚なのに、それを笑っているのが一番信頼しているチームメイト。そのちぐはぐさが、とてもしんどかったですね。
男子スポーツの世界では、チームの一体感と、ホモソーシャル(同性間の強い結びつきや関係性)の一体感が混同されてしまいがち。松中さんは大学時代までスポーツを続けられたものの、世の中にはスポーツを諦めてしまった多くのLGBTQの存在があったのです。
変わろうとするスポーツ界
そんなスポーツの世界にも、この10年、ようやく変化の兆しが見えてきています。2014年に改定されたオリンピック憲章では「性的指向」によっても差別されてはならないことを明記。2012年のロンドン2012オリンピックにおいて、23人であったカミングアウトした選手は、2016年のリオ2016オリンピックで50人を超えました。
そして、その流れは、日本のスポーツ界にも到来しつつあります。これまで、元フィギアスケートの村主章枝さん、現役の選手では女子サッカーの下山田志帆さんなどがLGBTQであることをカミングアウト。日本スポーツ協会でも、2020年に『体育スポーツにおける多様な性のあり方ガイドライン』を発行しています。松中さんも作成に協力したこのガイドラインは、主にスポーツの指導者に向けた普及啓発を目的とするものでした。
松中: スポーツの世界では指導者のパワーが圧倒的。チームスポーツであれば、メンバーとして選ばれるかどうかを決めるのも指導者であり、選手はLGBTQというアイデンティティを公表することで指導者から嫌われ、チャンスを失うことを恐れている。
LGBTQの選手に対して安心感を与えるためには、まず指導者を変えていかなければならないんです。
ユースの当事者は「命の危機」
「いらっしゃいませ!」
松中さんが代表となって設置した「プライドハウス東京レガシー」に入ると、スタッフの方による気持ちいい挨拶が迎えてくれました。新宿御苑にほど近い雑居ビルにつくられた、ガラス張りの開放的な空間。ここには、美味しいコーヒーを提供するカフェコーナーや、三島由紀夫やジャン・ジュネといった作家による同性愛を扱った小説から、オードリー・タンによる本まで、古今東西の本が並ぶ図書、そしてLGBTQに関する情報などが設置されたコーナー「LGBTQコミ ュニティ・アーカイブ」があります。
「プライドハウス」は、10年のバンクーバー冬季オリンピックから始まった運動。ここでは、セクシュアル・ マイノリティへの理解を広げるための情報や、LGBTQ当事者の選手や家族らが安心して過ごせる空間を提供してきました。以降、ソチ2014大会を除くすべてのオリンピック・パラリンピック競技大会だけでなく、FIFAワールドカップ、欧州フットボール・チャンピオンシップなどの国際スポーツ大会においても設置されているのです。
2020年秋、東京2020オリンピック・パラリンピックに合わせてつくられたプライドハウス東京レガシーについて、松中さんは、特に10〜20代前半のユース世代のLGBTQ当事者に使ってほしいと考えています。
松中: 10代のころは、自分の性的アイデンティティに気づくころであると同時に、学校のコミュニティではいじめに遭いやすく、逃げ場がない。大人になれば自分の場所を選ぶこともできますが、彼らには居場所がないんです。
そのため、10代のLGBTQにとって安心安全な居場所として「プライドハウス東京」が機能してほしいと考えたんです。実際に、オープン以降、利用者の3割ほどがユース世代。普段はできない性移行した格好で遊びに来るトランスジェンダーの子、スタッフと自分の性について話したい子、誰かとつながりたい子……。そんな、日常には自分の居場所のないユースの居場所となっているんです。
特に、コロナ禍は、ユース世代のLGBTQにとって「命の危機」となりました。当初は、東京2020オリンピック・パラリンピック後の2021年に計画していたプライドハウス東京の常設オープンを、1年早めたのもそのため。
松中: LGBTQユースに調査を行ったところ、およそ4割のユースたちは、コロナ禍によってこれまで安心してセクシュアリティについて話せる人・場所とのつながりを失ってしまったと回答しています。また、7割のユースが、家族の理解を得られず、家の中を「安心な場所」と思えていません。
今、彼らに対して居場所をつくることは、彼らの命に関わる問題なんです。
男性中心主義の弊害によって、これまでなかなか変化していくことができなかったスポーツの世界。しかし、松中さんは、「プライドハウス東京レガシー」をはじめとしたアクションを展開しながら、未来のスポーツ界に大きな希望を抱いています。いったい、何がその希望の根拠となっているのでしょうか?
松中: 僕自身、スポーツが持っているスピリットが大好きなんです。ラグビーならば、「ノーサイド」という言葉で、敵と味方の区別なくお互いの健闘をたたえますよね。スポーツの根底にあるのは、そんな気持ちのいいスピリット。
そんなスピリットを持つスポーツだからこそ、僕は、絶対に変われると信じているんです。
松中さんをはじめとする多くの人々の力によって、変わりつつあるスポーツとLGBTQの関係性。この関係が本当の意味で変わったら、「#スポーツがくれたもの」は、いったいどんなタグになるのでしょうか?
松中権
1976年、金沢市生まれ。NPO法人グッド・エイジング・エールズ代表、「プライドハウス東京」コンソーシアム代表。一橋大学法学部卒業後、株式会社電通に入社。海外研修制度で米国ニューヨークのNPO関連事業に携わった経験をもとに、2010年NPO法人を仲間たちと設立。2016年、第7回若者力大賞「ユースリーダー賞」受賞。2017年6月末、電通を退社しNPO専任代表に。日本全国のLGBTQのポートレートをLeslie Keeが撮影するプロジェクト「OUT IN JAPAN」やセクシュアル・マイノリティに関する情報発信を行う「プライドハウス東京」等に取り組む。
「スポーツという言葉は、“deportare(デポルターレ)“というラテン語に由来するといわれています。「気分転換する」というその言葉通り、スポーツは私たちに非日常的な感動や一体感をもたらしてくれます。
しかし、そこで味わった経験や感情は一時的なものではなく、私たちの生き方そのものにも影響を与えているのではないでしょうか――。
「#スポーツがくれたもの」は、スポーツが人々にもたらす変化や、スポーツを通じてその人の価値観が発揮されてきたエピソードを共有する連載企画です。新たな日常の中で、改めてスポーツの価値を考えてみませんか。