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自分の価値、他者の評価に委ねすぎてない?周りに合わせすぎる私のための「本当の自分」の見つけ方(前編)

パナソニック ホールディングスは、くらしにおける問いと対話をテーマにした『q&d』活動を展開しています。q&dでは、一人ひとりが自分にあった理想のくらしを見つけるときによりどころとなる「問い」を立て、読者のみなさまと共有しています。
 
本記事のテーマは「本当の自分の見つけ方」です。
 
その場ごとに求められそうな役割やキャラを引き受けながら、周りとうまく折り合いをつけていくことは、他者と一緒にうまく生きていくためのひとつの処世術と言えるでしょう。
 
けれども、相手に合わせることに慣れすぎて、自分の本心がよく分からなくなってしまう……なんてこと、皆さんも一度は身に覚えがあるのではないでしょうか。
 
本記事では、「周りに合わせてばかりいて、自身の純粋な願望や主張が、自分でもよく分からなくなっているのでは?」という悩み抱えていたパナソニック社員の桑野勇太が、そのモヤモヤとじっくり向き合って「本当の自分」を見つけるために、『ザ・メンタルモデル』の著者である由佐美加子さんにお話を伺いました。


安全になった社会、だからこそ生存本能が「不安」を生み出す? 

桒野 勇太(くわの ゆうた)神奈川県出身。1998年生まれ、いわゆるZ世代。2020年パナソニック入社。工場経理の業務を経て、2023年1月からグループ全体の組織・人材開発分野に従事。趣味は友人との長電話とうどん屋巡り。

桒野 勇太(以下、桒野)
由佐さん、今日はよろしくお願いします!

由佐 美加子(ゆさ みかこ)野村総合研究所、リクルートで勤務した後、グローバル企業の人事部マネジャーを経て、2014年に合同会社CCCを設立。個人や組織の覚醒と進化をさまざまな形で支援している。著書に『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』(内外出版社、2019年。天外伺朗氏との共著)など。

由佐 美加子さん(以下、由佐)
はい、よろしくお願いします。今日は親しみを込めて「くわちゃん」と呼ばせてもらいますね。
 
桒野
僕は今まで、周りのニーズをうまく汲み取って、その場その場で必要とされそうな役割を引き受けるような振る舞いをすることで、うまく生きてこられた気がしています。
 
ただ、最近ふと「今の自分は、本当の自分と言えるんだろうか?」「ありのままの自分って何だろう?」という、漠然とした不安に襲われることが度々あって。
 
こうした不安とどう向き合っていけばよいか、ぜひ由佐さんと対話しながら考えていきたいと思っています。
 
由佐
私もこれまでいろんな人の心の内面と向き合ってきたけれど、くわちゃんと同じように「周りに合わせすぎて、自分の本音や本心がよく分からなくなっている人」は、今とても多いように感じています。
 
でも、それは別にダメなことではなくて。現代社会で生きていくための生存本能が正常に働いているからこそ、そうなりがちだとも言えるんです。

取材の内容を元に作成したマンガです。本文のメッセージをなぞりながらお楽しみください!

桒野
生存本能、ですか?
 
由佐
人間には本能的に、今いる環境下でなるべく危険がないよう、怖い思いをしないように、自分にとって安心・安全な状態を確保しようとする機能があって。この生存本能の働き方が、昔と今では少し変わってきているんです。
 
昔はそれこそ、自然や外敵からの脅威を跳ね除けたり、明日生きるための食料を手に入れたりするので精一杯だった。
 
そこから人間は少しずつ生存しやすい環境を整えてきて、いま日本にいる私たちの多くは、物理的な安全が確保された社会でくらせていますよね。
 
そうなると、次に生存本能はどういうところに働くと思う?
 
桒野
身の安全が確保できているから……心の平穏とか、でしょうか。
 
由佐
そうそう。社会が豊かになって安全になったからこそ、今は多くの人が身の危険よりも「精神的に安心できるかどうか」に関心を持つようになった。
 
この変化は人類の歴史から見ればとてもポジティブなものなんだけれど、一方で多くの人たちの根幹に、とある意識を植え付けてしまったの。
 
桒野
それはどんな……?
 
由佐
「“ただ生きている、ただいる”だけではダメだ」って意識です。程度の差はあるけれど、現代人の大半は持っているんじゃないかな。「ここにいてもいい」って思いたくて、周りの役に立って必要とされる自分であろうとする。くわちゃんもそうじゃない?
 
桒野
まさにその通りです。
 
由佐
もちろん、人の役に立とうとするのは素敵な考えです。ただ「周りに必要とされること」が、「自分が安心していられる条件」と強く結びついていると、ちょっとしんどさが出てくる。
 
それって裏を返せば「周りに必要とされない自分には価値がない、ありのままの自分はここにいてはいけない」と思っているのと同じなんですよね。
 
もう少し言い方を変えると、「自分の存在価値を、他者の評価に委ねてしまっている」とも表現できる。生きる上で、あまりすこやかとは言えない状態じゃないかな。
 
桒野
たしかにそうですね……。誰かと一緒にいるとき、相手の役に立っている実感がないと不安になることは、今までも結構ありました。
 
由佐
役に立って相手に喜んでもらえると、ホッとするよね。けれども、相手の評価に依存してしまっていたら、そこで得られるのは束の間の安心だけなんです。自分の内側から湧き上がってくる「本当にここにいていいのか?」という不安感は拭えない。
 
それを払拭するためには、「価値がないとダメだ」と思い込んでいる自分の内面と、じっくり向き合っていく必要があるんです。

社会を生き抜くための知恵が、時に自分らしさを縛ることも


桒野
由佐さんのお話を聞きながら、自分の不安の正体が少しずつクリアになってきた気がしています。
 
先ほど「“いる”だけではダメだ」と思っている現代人は多いとおっしゃっていましたが、それはなぜなのでしょうか?
 
由佐
いろんな要因があるけれど、ざっくりと要点をまとめて言ってしまうと「社会にそういう価値観を刷り込まれてきたから」だと、私は思っています。
 
生まれた瞬間の私たちって、周りの人たちから存在自体をピュアに肯定されていることがほとんどだったはず。でも、成長するにつれて、今の世の中では否応がなしに「他者との比較による評価」が待ち受けている。
 
たとえば学校では、成績や偏差値で自分に価値がついたり、その優劣で存在が脅かされたりしますよね。
 
桒野
たしかに学校の成績って、自分の「価値」を明確に意識させられる体験だったかもしれません。大学受験から就活にかけても、ずっと他者と比較され、他者に評価されることの連続だったなと。
 
由佐
もっと言うと「他者との比較による評価」は、家庭内から始まっていることも多いんです。話していて思ったんだけど、くわちゃん、家の中でも家族みんなのバランスを取るようなポジションを取ってたりしない? 兄弟が多かったりして。
 
桒野
ちょっとビックリしました、その通りです! 3人兄妹の真ん中で、家族の中ではムードメーカーです。
 
両親は僕らのことを分け隔てなく気にかけてくれていたし、多分これは僕の考えすぎなのですが……兄や妹と比べたときに、家族の中での自分の役割が薄いような意識はあって。
 
「自分はどうしたらいいだろう?」と考えてバランスを取るようになった節は、たしかにある気がします。
 
由佐
「家族」って小さい単位だけど、人が最初に向き合う社会なんだよね。だからこそ、その関係の中で生きていくために、いろんな不安が生まれるのは当然のこと。とくに兄弟姉妹の真ん中の人は、構造上くわちゃんみたいな悩みを持ちやすいの。
 
兄妹がいる中、どうしたら自分が安心できる居場所を確保できるか。いろいろと試行錯誤した結果、皆の関係を取り持つ「潤滑油」的な振る舞いのスキルを獲得したと。そこでの成功体験を、外のもっと大きなコミュニティでも繰り返してきたのかもしれない。
 
桒野
なるほど、これまでのいろんな行動の理由が腹に落ちていく心地がしています……!
 
由佐
つまり、「周りに合わせて、必要な役割を引き受ける」というスタイルは、くわちゃんが「必要に応じて身につけた生き方」であって、「本当に望んで選んだ生き方」ではないと言えるんです。
 
もちろん、そういう生き方がダメだったわけでは全然なくて。そこで培えた能力もあるし、得られた絆もあるから。
 
でも、だからといって「僕は潤滑油になるべくしてなったんだ、そうあることが唯一の正解で幸せなんだ」というわけでもない。生存するためにそうなっちゃっただけ、って認識を持てるといいと思います。
 
 
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……盛り上がってきたところですが、前編はここまで。
 
後編では「本当に望んでいる生き方」を選ぶために必要な「心の声の聞き方」について、さらに詳しく掘り下げていきます。▼ぜひご覧ください!

▼『q&d』の本体サイトでは、ほかにもさまざまなテーマで「問いと対話」を展開しています。

(※本記事は過去に『q&d』本体サイトに掲載されたものを、note用に再編集して転載しています)

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