「当たり前」じゃなくなって気づいた 大切な日々と、プロになる以上の景色
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「当たり前」じゃなくなって気づいた 大切な日々と、プロになる以上の景色

Because it can be painful, there will be a moment of gratitude in the end.
苦しいことがあるから、最終的に感謝する瞬間が生まれる。
ーーコービー・ブライアント

悲運の事故死から1年。今なお、多くのバスケファンの心をつかんで離さない伝説のNBAスター、コービー・ブライアントがのこした言葉です。今回はそんなコービーをリスペクトする若きふたりのスターのお話。

登校の自粛や大会の中止、練習場所の閉鎖。コロナの影響を強く受けた2020年は、スポーツを楽しむ学生たちにとって当たり前だった日々も、どこか遠くに追いやってしまうような1年間でした。

そんな練習すら満足に行えない状況のなか、数多の強豪校を打ち破り見事インカレ(全日本大学バスケットボール選手権大会)を制した、東海大学バスケットボール部。現在4年生としてチームを牽引する、八村阿蓮さんと佐土原遼さんのふたりにお話を伺うと、逆境に負けずチームが成長できた理由。そして、コロナという大きな壁を前にしてもくじけることのない、ふたりの強い使命感と目標が見えてきました。

NBAで活躍する八村塁選手を兄に持ち、高い身体能力を活かした得点力で将来を嘱望される八村さんと、192cm×97kgという大学バスケ界屈指のフィジカルを武器に、プロ顔負けのプレーで一躍脚光を浴びる佐土原さん。若きふたりが見据える未来には、いったいどのような景色が広がっているのでしょうか。

聞き手/平地大樹(プラスクラス・スポーツ・インキュベーション )
構成・文/須藤翔(「ソウゾウノート」編集部/Camp)

もう負けたくない。バスケに本気になった日

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八村: 実はバスケを始めたのは、「ほかにやるスポーツがなかったから」くらいで。兄貴がバスケをやってたので自分も何となく、というのが正直なところでした。
佐土原: 僕も両親がふたりともバスケをやっていたので、まあ必然的にやるでしょう、と。はじめはサッカーの方がやりたくて、あまり乗り気じゃなかったんですけど(笑)。でも小学4年生くらいかな。試合に出られるようになってからは、すっかりバスケに熱中して「全国で活躍できる選手になりたい」って思うようになってましたね。

いまやバスケ界大注目のふたりですが、意外にもバスケをはじめたのは、そんなひょんなきっかけからだったそう。とくに、小学校4年生からバスケに夢中になったという佐土原さんに対して、八村さんが本気でバスケに向き合うようになったのは高校2年生のころだったといいます。

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八村: それまでは、闘争心もまるでないような選手だったんです。たぶんバスケに対する情熱もなかった(笑)。でも高2のインターハイ、さらにウィンターカップ(※全国高等学校バスケットボール選手権大会)の序盤で敗退してしまったとき、自分のあまりの不甲斐なさに、はじめて泣きそうになってしまって。

それは尊敬する兄であり、同じ部活の先輩でもあった八村塁さんが卒業して初めてのウィンターカップ。学年も上がり、メインの選手として活躍しなくてはならないはずが思うようなプレーができず、圧倒的な無力感に襲われました。

八村: 兄貴が抜けて自分がメインになった、というプレッシャーもありました。でもそれにしても、「どうして僕はこんなにできないんだろう」と本当に悔しくて。それまでは試合に負けてもなんとも思わなかったんです。このとき初めて「もう負けたくない」って思いました。

そこから本気でバスケに向き合うようになって、自分で考えて、努力して、最後のウィンターカップでは無事優勝を勝ち取れたんです。あのときの経験がなかったら、いまの僕はいないんだと思います。

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幼いころから常に「日本一」を目指してきた佐土原さんと、高校時代に味わった悔しさをバネにバスケに対して本気になった八村さん。ふたりは、2018年に東海大学へ入学。大学バスケにおける最強の一角で運命の出会いを果たします。

「バスケができることは、当たり前じゃない」

ふたりは、1年次から練習のペアになることが多かったそう。互いの第一印象を伺うと、揃って出てきた言葉は「負けず嫌い」。だからこそ、ここまで切磋琢磨をしてこれたのだといいます。

佐土原: 正直、高校で全国にも出たことない自分からすると、東海大は「スター軍団」というか。だから1年のときから、練習でもほぼ捨て身くらいの気持ちでぶつかってきました。でも阿蓮も同じくらい、ほかの誰にも負けない闘争心を持って臨んでいて。全力でぶつかっても応えてくれるやつがいたから、いまがあるんだと思います。

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全国から集った強力なチームメンバーとともに練習に明け暮れる日々。迎えた最初のインカレでは、東海大にとって5年ぶりとなる優勝に貢献しました。しかし、2年次のインカレでは惜しくも専修大学に敗れ、目標としていた二連覇を逃してしまいます。

苦い敗北を味わったチームは、この悔しさを晴らすためにも新たなメンバーを迎え、一丸となって動き出します。しかしそんな彼らに立ちはだかったのは、コロナによる活動の制限でした。

佐土原: コロナの影響で試合数がかなり減り、さらに自粛期間に入ってコートでの練習自体も全然できない状況になってしまったんです……。

それは、チームが次の目標に向かって歩み進めはじめた矢先の出来事でした。しかし、そんな状況だからこそ得られたものもありました。

佐土原: 自分はもともと身体づくりに神経質になってトレーニングをしすぎてしまったり、空回りして本番でコンディションを発揮できないことが多くて。でも去年、試合や練習が減ったことで、ゆっくり自分と向き合う時間が生まれたんです。

そこで、すべてを全力でやるのではなく、抜きどころを覚えたというか。自分でマインドをコントロールできるようになった。この変化は自分にとって、これまでのバスケ人生の中でもターニングポイントとなるような出来事でしたね。

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八村: うん、時間ができたことで自分自身について考える余裕ができたよね。それに、チームとしても大きな成長がありました。それまでいつも、大事なところでコミュニケーションが不足していることが多くて。

たしかにコートに立てる時間は減ったけど、その分いっしょにプレイ動画を見て研究したり。コミュニケーション不足を解消するために、コートの外で会話する時間を増やしたんです。そこで生まれた「言いたいことが自由に言える雰囲気」は、チームにとってプラスだったと思います。

そうした個々の成長やチームの変化が功をなし、3年次に迎えたオータムカップ(コロナ禍で中止となった関東大学バスケットボールリーグ戦の代替大会)、そしてインカレでは他大学を圧倒して優勝。この状況下であってもできることを重ねていくうちに、チームに芽生えたのは、コロナによるフラストレーションや分断とは真逆のものでした。

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佐土原: チーム全体に「みんなでバスケができるのは当たり前じゃない」という認識が生まれたんです。だから、去年のオータムカップとインカレには、「こうしてバスケができていることに感謝しよう」っていう気持ちを全員が持ったまま臨むことができました。メンバーが全力でバスケを楽しむことができたからこそ、優勝という結果にもつながったのだと思います。

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もし、これまでと同様、つつがない日々が続いていたら――
「バスケができることは、当たり前じゃない」誰もがそう感じる一年だったからこそ、チーム全員に「最終的に感謝する瞬間」が訪れたのかもしれません。それこそ、ふたりがリスペクトする、コービーがのこした言葉のように。

ふたりが望む「プロで活躍する」以上の景色

インカレ優勝を果たしたのち、ふたりはそれぞれ特別指定選手としてプロチームへの一時入団を果たします。スキルやチームの作り方、プロプレイヤーたちの圧倒的な実力。多くのことを学ぶなかで、佐土原さんは大学バスケでは感じることのできなかった大切なことに気づいたといいます。

佐土原: 多くのファンに見守られてプレーをする中で思ったのは、自分たちが迫力のあるプレーを見せることで、観てくれる人を元気づけられるということ。

誰かがつらい思いをしていたり、いまのように社会全体が暗い雰囲気に包まれているときでも、バスケのゲームを続け、スポーツ業界全体がとまらずに続いていれば、きっと勇気を与えることができる。多くのファンの心をうごかすプロの世界に足を踏み入れて、そう思ったんです。

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「スポーツを通じて、落ち込んでいる人を助けたい」
そうした想いは佐土原さんだけでなく、八村さんが目指す選手像にも共通していました。

八村: 兄貴と僕が幼いころは周りに“黒人”がいなくて、どうしても「自分は周りの人と違うんだ」ということを感じずにはいられなかった。世の中にはそれが劣等感になってしまう子もたくさんいて。だから兄貴がNBAに行ったことは、世界中のミックスの子に夢と希望を与えたと思うんです。

肌の色が違う人、言葉が違う人、髪の毛が違う人。差別そのものをなくすことは難しいかもしれないけど、僕たちががんばっている姿を見せることができれば、悩んでいる人たちに勇気を与えられる。

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自身の経験から、自分と同じような悩みを抱える人たちに勇気を与えたい、という八村さん。プレーだけでなく、コートの外でもそうした行動を起こしていきたいと語ります。

八村: 海外では、プレーで勇気づけるだけじゃなく、慈善団体にお金を寄付している選手も大勢いて。兄貴も慈善団体に寄付を行っている。そういう姿を身近で見ているのでなおさら、「恵まれない人を救う」というのがスポーツ選手の使命のひとつかなと思っているんです。

どんな時代にあっても、誰もがスポーツに対して抱く憧れや希望、そして勇気。自分たち自身が幾度となく救われてきたスポーツのちからを信じ、迷いのないまっすぐな眼差しで語ってくれたことは、「バスケを通じて誰かを救う」という自らの使命でした。

卒業後、別々の道を歩もうとも。コロナのような大きな壁が立ちはだかろうとも。これからバスケ界を背負って立つ、若きスターの大器たちの瞳には、「プロの世界」よりもさらに遠く広がる景色が映っていました。

佐土原 遼
192センチ97キロ。2018年・2020年には東海大学のインカレ優勝メンバーとして活躍。2020年12月、広島ドラゴンフライズに特別指定選手として加入。

八村 阿蓮
198センチ98キロ。関東大学リーグ戦の代替大会「オータムカップ」では優秀選手賞に選ばれた。2020年12月、サンロッカーズ渋谷に特別指定選手として加入。



「スポーツという言葉は、“deportare(デポルターレ)“というラテン語に由来するといわれています。「気分転換する」というその言葉通り、スポーツは私たちに非日常的な感動や一体感をもたらしてくれます。

しかし、そこで味わった経験や感情は一時的なものではなく、私たちの生き方そのものにも影響を与えているのではないでしょうか――。
「#スポーツがくれたもの」は、スポーツが人々にもたらす変化や、スポーツを通じてその人の価値観が発揮されてきたエピソードを共有する連載企画です。新たな日常の中で、改めてスポーツの価値を考えてみませんか。



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