父と娘。指導者と選手。オリンピアン親子、室伏由佳・重信さんをつなぐもの
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父と娘。指導者と選手。オリンピアン親子、室伏由佳・重信さんをつなぐもの

今回の「スポーツがくれたもの」は、ともにオリンピアンとして世界を舞台に活躍した、親子であり師弟でもある二人のお話。

陸上の円盤投、ハンマー投の両種目で日本記録を樹立、アテネ2004オリンピック競技大会にハンマー投で出場を果たした室伏由佳さん。そして、同じくハンマー投でこれまで4度のオリンピック代表に選ばれ、由佳さんや息子の室伏広治さんの指導にもあたってきた父・重信さん。親子、そして師弟という関係で、世界に挑戦してきた父娘の対談です。

親として、指導者として。娘として、選手として。二人にとって「スポーツがくれたもの」は、いったいどんなものだったのでしょうか。

構成・文/及川彩子

いつか進むと思っていた陸上競技への道

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由佳: 幼いころから、父について行った陸上競技場で飛び跳ねて遊んでいました。正式に陸上を始めたのは中学の部活動です。すごく興味を持って始めましたし、父の競技者としての背景が100%影響していますね。

陸上競技を始めたきっかけを、由佳さんはこう振り返ります。その後、100m、走高跳、砲丸投の3種競技Aに取り組み、全国中学生陸上競技大会に出場。5位に入賞しました。

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重信: 当時の試合の様子は、8ミリビデオで撮ってありますよ。中学生の時に混成種目に取り組むのは、将来的に種目を絞ったり、競技を移行する上でとても大事なことなんです。ただ、まさか円盤投の選手になるとは思っていませんでした(笑)

重信さんは「まさか」と言いますが、由佳さんが円盤投を選んだのには理由があります。高校に進学した由佳さんは、体力的な面なども考えて、投てき競技を選択しようと考えていました。当時は女子ハンマー投がまだ正式種目になっていなかったので、投てき種目での選択肢はやり投、砲丸投、円盤投の3つ。

投てきの道を選ぶという旨を重信さんに告げると、「競技者として投げ方を教えるからテストをしよう」と提案されたそうです。

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由佳: 私はやり投に憧れていたんです。空中をやりが飛んでいくのってかっこいいじゃないですか。でも、やりを1回投げた後に父から「はい、次」と言われてしまい……。2投目も投げたかったんですけどね(笑)。

次に円盤を投げたら、すぐに父が「いいね」と言ってくれて。自分でも手応えを感じたし、円盤投の指先に引っかけて投げる瞬間の感覚がとてもおもしろくて、ユニークなスポーツだなと思いました。

せっかく好きな陸上競技に取り組むならば、世界を見据えて戦える種目で頑張ってみたらどうだろう、という重信さんの指導者としての助言もあり、円盤投を選択した由佳さん。こうして、重信さん、兄の広治さんと同じ投てき競技への挑戦が始まりました。

由佳: 小さいころから間近に本格的な競技の世界を感じてきた、というアドバンテージもありましたし、周りの方も期待してくださっていました。小学生の時にはよく「お父さんオリンピック選手なんでしょう」とか「ゆかちゃんもオリンピック出るんだよね」と、言われたのを覚えています。そういった環境もあり、自然な形で、いつか投てきをやるのかな、とは感じていました。

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市邨学園高校時代は円盤投に取り組み、その後、中京大学に進学。同大学で教鞭をとり、また陸上部では指導者でもあった重信さんとの関係はどのようなものだったのでしょうか。

由佳: 大学では最初は父に敬語で話す努力をしていましたが、無理だったので途中からは普通に話していましたね。部活だけでなく、父の授業も履修していましたが、私よりも父の方がやりにくかったんじゃないかな。
重信: 指導者として学生をしっかり育てる、という仕事がありますからね。娘や息子だけに目をかけるということは一切なく、バランスよく指導するように心がけました。確かに、自分の子どもが授業を履修していると、緊張感ややりにくい面もありましたが、それも乗り越えて私の人間性を高めていければと思っていました。

重信さんは指導者として由佳さん、息子さんの広治さん、学生たちにどのように接してきたのでしょうか。

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重信: 娘や息子に限らず、指導する学生全員に同じように接しますが、今も大学で指導するなかで絶えず学んでいます。というのも、指導の世界は非常におもしろいんですよ。はじめはできないのが当たり前なのに、指導者側はつい自分の考えを主張してしまう。気合いで伸びればいいですが、それはないので(笑)。

「心技体調」つまり心、技術、体力、調整力の4つの方向で選手を探っていくんですが、それを見てどう導いていくかがたいせつにです。

距離を置いて分かった、変わらない父の言葉 

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大学時代、由佳さんは重信さんの指導から少し距離を置き、自ら競技に取り組んだ時期もありました。周囲からは反発しているようにも思われた行動でしたが、それには深い理由がありました。

由佳: 当時の私は、主体性に欠けている部分があったんです。高校時代は大会で過緊張になってしまったり、優勝候補としてインターハイに出場しても9位だったり。心理的なスキルの質が非常に低かったんです。だから試合のときもコーチのアドバイスがないと不安になってしまう。

でも、大学に進み、同級生や先輩が本格的な練習をしているのを見て、練習への姿勢を含めて大きな刺激になりました。弱かった自分を変えながら、自分の判断と自分の感覚でパフォーマンスをしていかなければいけない、と考えるようになりました。

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重信さんはずっと「主体性を持って取り組みなさい」と学生たちに指導しています。しかしその主体性が、重信さんのアドバイスや指導とぶつかることもありました。

由佳: 当時は父からアドバイスをもらっても、それが実践できないということが多かったですね。アドバイス通りに修正しても、すぐに記録に反映されなかったり、噛み合わなかったりするのが嫌で。アドバイスを受けて修正し、そこから積み重ねていった先に待っているものが当時は分からなかった、という面もありました。
重信: 選手たちは自分の感覚の外に出ることを非常に怖がる傾向にあります。ですが、普段の練習でいろんなものを試さなければいけないと私は思っています。リスクはあるけれどやってみなければわからないし、ダメだったら戻せばいいんです。だから私は選手の固まった考えや感覚を崩します。「デストロイヤー」みたいなもんでね。息子、娘にかかわらず反発心はあったと思いますね。

重信さんは自らを「デストロイヤー」と言いますが、それは選手に柔軟性を持って競技に取り組んでほしい、と考えているからこその指導です。重信さんに壊されて、そこから生まれたアイデアを「引き出し」に入れ、必要な時に開けて使えるようにすること、選手の「引き出し」を増やすことも指導者の役割だと考えていたのです。

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由佳: 父からのアドバイスのようにやるには、自分の考えやそれまで培ってきたことを消さなければいけないので反発はありましたね。でも、言われた当時はできなかったけれど、その後、自分のレベルが上がっていった時に「前に言われたあの言葉はこのことだったんだ」と腑に落ちることが多くありました。

父の考えはずっと変わらなくて、いつも同じ言葉をかけてくれていましたが、自分の成長段階によって使える「引き出し」があったり、ずっと閉まったままだったり。自分の経験が少なすぎたために、達観した父の言葉は、とても難しく感じられたんです。

「まだ間に合う」父の言葉に後押しされた再挑戦

由佳さんはプレッシャー、葛藤、競技の難しさなど様々なものを乗り越え、大学時代に円盤投でインカレ4連覇する活躍を見せました。さらに大学4年からは本格的にハンマー投もスタート。社会人1年目の1999年には円盤投で日本記録を樹立、日本選手権では円盤投で初優勝、ハンマー投も3位に入る快挙を成し遂げました。

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由佳: 円盤投は長く競技に取り組んでいるものの、記録を出しても国際レベルには遠すぎるというフラストレーションがありました。ハンマー投は大学1年生の時に一度かじったのですが、バーンアウトしてしまいました。父からは「ハンマー投の体の使い方が上手だから、続ければ国際大会には出られる」と言われていたのですが、若くて当時は受け止められませんでした。

でもハンマー投への再挑戦を父に相談したら、「オリンピックへの挑戦はまだ間に合うと思う」と言われて、大学4年生のシーズンオフから本格的に始めました。ただ円盤投と2種目の両立は、体力的に本当にたいへんでしたね。

高校、大学の7年間、真摯にひたむきに円盤投に向き合ってきた由佳さん。でも、世界を目指すためにハンマー投への挑戦を決意。父、そして兄と同じ種目になり、プレッシャーもあったはず。しかし、重信さんの後押しを受け、勇気を持って進みました。

由佳: 2種目やることの体力的な不安、また共倒れになることへの不安もあり、先を見て決断することには、すごく勇気が必要でした。

そんなとき、父にずっと言われ続けた「お前は木を見て森を見ずだ」という言葉が頭に浮かんで、それに後押ししてもらったのかなと思います。

そのタイミングを逃したら、二度と手に入れられなかったチャンスだと思うので感謝しています。

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自主性を学び、自らハンマー投という可能性に挑戦した由佳さんに対し、重信さんは「引き出し」の中にある情報、技術を惜しみなく提供。時に厳しく、そして温かく見守り、並走しました。

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重信: ハンマー投は体が比較的小さくても、基本をしっかり学んでいればできる種目です。娘が取り組んだのは少し遅かった感もありますが、始めて5年でオリンピックに出られたわけですから、能力は高かったと思います。

まだまだ記録を伸ばせたと思いますが、腰が悪くなって、競技を諦めるようなことになったのが残念でしたが、2種目続けながら、オリンピックによく出られたなと思いますね。

父からもらった「引き出し」を次世代につなげる

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現在、由佳さんは順天堂大学で講師を務めるほか、全国各地での講演活動、またテレビなどで投てき種目の解説を行うなど幅広く活動しています。

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由佳: 今、大学では、相手の主体性をどう引き出すか、相手をどうやって成長させていくのかを常に考えていきます。それはスポーツコーチングの原理原則と重なる部分がたくさんありますね。どうアプローチしたらいいのかと悩んだら、今も父に盛んに相談しています。

私は教育と研究、父は指導者という異なる立場にいますが、自分たちが作った歴史の上にさらに努力を重ねてその上を目指していく。今も似ている世界にいるように思いますね。

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投てきの指導を通して、自身の子どもだけではなく、多くの学生に愛情と情熱を注いできた重信さん。その思いを受け、選手としてオリンピックに出場し、現在は研究職に就く由佳さん。

重信さんの「引き出し」もこれからもっと増えていくと思いますが、由佳さんがそれを受け継ぎどう生かしていくのか、もしかしたら由佳さんのアイデアが重信さんの「引き出し」に収められることもあるのかもしれません。

室伏重信
1945年生まれ。陸上競技男子ハンマー投でオリンピック4大会代表。ミュンヘン1980オリンピック競技大会では8位に入賞。アジア大会には6大会出場し、5連覇を達成。40歳まで現役生活を継続したのち指導者として、室伏広治さん・由佳さん兄妹をはじめとする多くの選手を育てている。

室伏由佳

1977年生まれ。スポーツ健康科学博士。陸上競技女子ハンマー投の日本記録保持者。女子円盤投の元日本記録保持者。
アテネ2004オリンピック競技大会女子ハンマー投日本代表。2012年に競技を引退。 現在、順天堂大学スポーツ健康科学部准教授、株式会社attainment代表を務める。研究の専門領域はスポーツ医学(アンチ・ドーピング教育)、スポーツ心理学、スポーツと健康、モチベーションなどをテーマに講演や実技指導など幅広く活動している。



「スポーツという言葉は、“deportare(デポルターレ)“というラテン語に由来するといわれています。「気分転換する」というその言葉通り、スポーツは私たちに非日常的な感動や一体感をもたらしてくれます。
しかし、そこで味わった経験や感情は一時的なものではなく、私たちの生き方そのものにも影響を与えているのではないでしょうか――。
「#スポーツがくれたもの」は、スポーツが人々にもたらす変化や、スポーツを通じてその人の価値観が発揮されてきたエピソードを共有する連載企画です。新たな日常の中で、改めてスポーツの価値を考えてみませんか。



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