「モヤモヤとの共生」歩みが遅くなっても簡単に答えを出さないソウゾウ力
創業者・松下幸之助は未来を担う若者たちへの応援メッセージを数多く残しています。その思いは、いまもわたしたちの大きなテーマのひとつ。
連載企画「youth for life(ユースフォーライフ)」では、若者が、自分や誰かの人生とくらしのために、その「青年の力(興味、関心、熱意、素直な心)」を大いにのびのびと、正しく使おうと模索する姿を発信していきます。
企画を担当した野村さんと金田さんに登場してもらった前回に続き、今回は2020年冬に開催されたオンラインプログラム「やさしさラボ」の参加メンバーで、一般社団法人「Deep Care Labo」代表の川地真史さんにお話を伺います。
「やさしさラボ」への参加を経て、2021年3月にご自身のプロジェクトもスタートさせた川地さん。思いをかたちづくっていく中で、どのような葛藤や挑戦があったのでしょうか。現在進行形の川地さんの取り組みとは、そしていま思うこととは。
構成・文/吉澤 瑠美
やさしさと想像力……自身の活動へのヒントを求め「やさしさラボ」に参加
川地: 仕事を辞めて留学していたフィンランドの大学院を卒業し、帰国後はどうしていこうかと考えていた時期に、メールマガジンで「やさしさラボ」のことを知りました。
「やさしさのあり方」「想像力」といったキーワードが、僕の構想していた「ケア」を軸にした活動の手掛かりになりそうだと感じたのと、いわゆるSDGsをテーマにした企業活動のような、表面的なところから一歩踏み込んだ場になるんじゃないかという期待感もあり、参加を決めました。
川地: 「やさしさ」というかたちが見えにくく難しいテーマでしたが、簡単に結論が出ない難しさもきちんと扱っていた印象があります。
「誰かにとってのやさしさは誰かにとってはやさしくない」というような、白黒つけられない二面性を手放さずに受け止めながら向き合っていく、ということを学ばせていただきました。そういう議論や対話のあり方というのはすごく印象に残っています。
「500円でやさしさを実践してみる」など、公共空間に介入していくようなワークを実践するときの緊張感とか、そういうものも含めすごくおもしろい体験でした。
川地: 今年の3月に「Deep Care Lab」という社団法人を設立しました。「あらゆるいのちをケアする想像力を育む」というのがミッションです。
川地: 僕たちはいろいろな命と関わりながら生きています。亡くなった人々の遺産の上に立っているし、いま生きている日々の行為は、未来の子どもたちにも影響していく。さらに言えば、人間以外の命にも支えられています。
たとえば、奈良県の生駒市では行政と住民とでいっしょになって、「50年後のごみと生活がどうなっているか」をSFの物語にする、というワークショップを行いました。
でもそういった人ならざる存在との関係は、目に見えにくいですよね。見えないからこそ、イマジネーションのきっかけが必要だと思うんです。見えない命との関わりを見いだしつつ、その関係性への思いやりをいかに実践していくか。それを後押しする活動体がDeep Care Labなんです。
簡単に結論を出すのは逃げ。「やさしさラボ」に共感した対話のあり方
川地: ここ数年、モヤモヤを抱えている人は多いと思います。昨今のコロナ禍には気候変動も無関係ではないだろうし、人間と自然を切り分けて考えてきた社会のあり方を見つめ直したいと思っても、簡単なことではないですよね。「気候危機などのテーマが気になるけれど、一人で考えるのはたいへん」という方に、「いっしょに考えようよ」と呼びかけるような感覚で活動しています。
川地: 僕たち自身も答えは持っていないし、何をしていけばいいかわからない中でやっている部分があるので、実際にプログラムを運営していても「教える、学ぶ」という関係にはなりません。いっしょにわちゃわちゃしていくという僕たちのスタンスには、「やさしさラボ」の影響もあるような気がします。
川地: いかにモヤモヤしてもらうか、葛藤を生むようなフックをつくっていくことを意識しています。プログラムをつくる側でもありつつ、いっしょに学ぶ側でもあるという意味では自分にとって大事なことだし、参加者にもしっかり向き合ってもらいたいなと思っています。
いまの時代、簡単に答えを出すほどの逃げはないな、と思うんですよね。安易に「こっちだね」と結論を出すのは楽なので。
進みが遅くなってしまうかもしれないけれど、善も悪もきちんと両方見るのは大事なことだと思います。「自然との共生」と言っていても蚊が来たら潰すでしょう? そういう矛盾や、仲良しこよしだけでは済まない難しさを常に自覚してプログラムをつくっています。
たいせつ大切にしているのは、義務ではない「内発的な気持ち」の創出
川地: これまではワークショップやプログラムを通じて考えるフックをつくるという役割が多かったのですが、今後はそれをケアの実践としていかに「コト」に落としていくか、もうすこし違ったかたちを模索していきたいと思っています。
ワークショップを通じてケアの内発的な気持ちが生まれたり、いろいろな関係の上に自分が成り立っていることに気づいたり、行動を起こす前にそのモードをつくることで、活動の質は全く違ったものになると思うんです。
だとしたら、今度は実際に行動に落とし込んでいくところがより重要になる。その実装を企業や自治体とも模索してみたいですし、自社プロジェクトとしても進めたいと思っています。
川地: 個人的には、物質性を伴う装置として、考える機会や気づきを生みだすようなものをつくりたいという思いもあります。最近はプラスチックが悪者のように言われがちですが、プラスチックも元を辿れば石油だし、石油も数億年の命の死骸の堆積からできているわけです。
でも、数億年の命の堆積を使い捨てのお手拭きのビニール袋から感じ取るというのはさすがに限界がある。もうすこし想像しやすい装置を日常に埋め込むことができれば、感覚が変わっていくかもしれないですよね。
川地: 「おのずから」というのをキーワードとして意識しています。Deep Care Labでも、義務ではなく「ケアしていきたい」という内発的な気持ちが伴わなければ意味はないと考えていて、自分たちの活動を舵取りしていく上でも、それは一番に置いておきたいと思っています。
ほかにも事業を抱えているので使える時間には限界がありますし、お金になりにくい活動体なので、どうしても目先の利益に飲み込まれそうになることもあります。似たような会社が出てきたらどうだとか、抜け出したい競争原理に負けちゃいそうになるとか、そういったものに飲み込まれないためのくさびとして、内発的な気持ちはたいせつにしたいなと思っています。
川地: 「一般社団法人公共とデザイン」という社団法人では、企業のオープンイノベーション支援をしたり、自治体といっしょにラボをつくったり、民主主義や公共性をクリエイティブの視点から考え直していく活動をしています。
いろいろな人が混ざり合い、自分が知らなかったことに触れて、自分の中の軸を育てるとか、「こういう方向でやっていきたい」という思いが芽生えてくるとか、そういうことをテーマにしています。
川地: 僕の中では地続きで、さまざまな他者関係の中での私感を見つめ直していくというのが共通するテーマだと思っています。
葛藤や変化の中で「モヤモヤもやもやしながら生きる」のが、今の時代の健全な姿
川地: Deep Care Labで掲げているテーマやミッションは、僕自身もまだ挑戦中なんです。だから、多方面への想像力を持ちながら、「生かされている」という感覚を日々強く感じて生きられるようになりたい、という思いを常に持っています。想像力とか、目に見えないものを見ていく力を、もっとつけていきたいという気持ちが強いですね。
また、自分で暮らしをかたちづくっていく比率をもうすこし上げていきたいというのは帰国してからずっと思っています。今は京都の中心地に住んでいるのですが、近々嵐山のほうに引っ越す予定があるので、そっちで畑を借りつつ、じわじわ進めていくつもりです。
川地: 自己拡張によるウェルビーイング実現を目指す「Aug Lab(オーグラボ)」はすごくおもしろそうな取り組みだなと思いながら拝見していました。
川地: 僕たちが取り組んでいるプログラムでも、今まさにウェルビーイングを拡張して考えているところなので、いっしょに共同研究ができたらおもしろいことができそうだなと思っています。
川地: モヤモヤしながら生きるというのは、いまの時代において健全な生き方だと思います。たとえば「好きなことを仕事にしよう」というのもわかるけれど、そんな簡単にはうまくいかない。そういう言説を鵜呑みにせず、明確な回答が見えない中でいかに葛藤と共に生きるか、ということはたいせつにしてほしいなと思います。
僕たちが提供するプログラムも、「僕たちが唯一解ではない」という大前提でやっています。Deep Care Labの考えに賛同できるなら乗っかってもいいし、ただ僕たちだって途中で考え方が変わるかもしれない。
いろいろな人といっしょに考えるプロセスを踏んだら何かしら変わるはずだし、そういう小さい変化が積み重なったら、もしかしたら大もとの真意もいつの間にか変わっているかもしれない。でも、そんなものだと思うので。