2か月間の実験と対話が参加者を変え、僕らを変えた
「若鳥よ。烈風に身をかがめるな。はばたけ。まろびつころびつ限りなくはばたけ。」
創業者・松下幸之助は未来を担う若者たちへの応援メッセージを数多く残しています。その思いは、いまもわたしたちの大きなテーマのひとつ。連載企画「youth for life(ユースフォーライフ)」では、若者が、自分や誰かの人生とくらしのために、その「青年の力(興味、関心、熱意、素直な心)」を大いにのびのびと、正しく使おうと模索する姿を発信していきます。
第一回目となる今回は、2020年冬に2ヶ月間にわたって開催されたオンラインプログラム「やさしさラボ」の企画・運営メンバー、野村善文さんと金田悠佑さんのお二人にお話を伺いました。
ともに20代の二人は、どのような思いでプロジェクトを企画し、何を感じ、そしていまどのような未来を見据えているのでしょうか。
構成・文/吉澤 瑠美
カメラマン/鈴木 渉
あれから1年、参加者と同じ目線で臨んだ「対話と実験の場」を振り返る
野村: もとはSDGsをテーマにした企画展のコンセプトとして挙がったものです。SDGsという言葉自体はよく聞かれますが、捉えどころのない言葉でもあります。そこで一段階噛み砕いた概念として、「やさしさ」というワードを使い始めました。
その企画展と連動した、やさしさについて双方向に考えるスピンオフプログラムが「やさしさラボ」です。
野村: この1、2年でオンラインイベントの数はかなり増えましたが、参加者の顔が見えないことも多く、そこに実体があるのかわからなくなってしまうこともありますよね。「やさしさラボ」では、もうすこしエンゲージメントを重視したコミュニティをつくりたいと考えていたので、いわゆる数値的な目標よりも、この場所からどんな化学反応が生まれるのか、どんな学びや気付きがあるのかを実験的に探っていきました。
金田: 私たちが目標としていた、「運営側と参加者との間での双方的なコミュニケーションや対話の場」はつくれたと思います。開催から1年経った今でも一部の参加者とはつながりが続いているんです。
野村: 参加者だけでなく、運営チームも今でも連絡を取り合っていますし、僕個人としてもパナソニックさんとは継続してお仕事をごいっしょさせていただいています。つながりをたいせつにする ということを真摯に追求した、けっこうめずらしい取り組みだったと思いますね。
金田: そうですね。広く一般に向けたオンラインイベントを企画・実施するなど、私たちのほうから何かを発信することはこれまでにもありましたが、実際に参加者のみなさんと同じ目線に立って、双方向で取り組む試みは初めてだったので、最初はすこし戸惑いもありました。
金田: ファシリテーターという役割を意識せず、なるべく一参加者としてほかの方とコミュニケーションをするようにしていました。野村さんや(メインナビゲーターの)石神夏希さんは演劇というバックグラウンドがありますし、ワークショップの知識や経験も豊富でいろいろなアドバイスができますが、僕にはそれがありません。
パナソニックの社員としても、専門的な分野からも、特別な意見は出せないと思ったので、変に着飾らず、一参加者の目線でみなさんと同じフィールドワークをしたり、プログラムを通して感じたことを発言したりすることを心がけました。
野村: 初めのうちは心配していましたが、ファシリテーターとしてうまくチームに溶け込んでいたので、石神さんも僕も安心して任せられました。
「自分が動かないと何も起こらない」ファシリテーターを放棄した理由
野村: 僕が個人的に「やさしさラボ」のハイライトだったと思うのが、3日目に行ったチーム分けです。20人弱の参加者を4つのチームに分ける必要があったのですが、本当のことを言うとランダムに決めてもいいし、僕らで事前に割り振ってしまってもよかった。でもあえて参加者に議論の音頭を取る人も決め方もすべて委ねて、ファシリテーターを放棄するという方法を選びました。
野村: オンライン企画はただでさえ参加者が受動的になりやすいので、運営チームとしても、どこかのタイミングで僕らのファシリテートという手綱を参加者自身に渡していかないといけない、ということを気にしていました。特にこのプログラムでは参加者自身が実際に行動をするということを重視していたので、うまくいかないかもしれないけれど、ここは完全に身を引いてみよう、という「実験」に出たのです。
個人的にこのプログラムを語る上で、コロナ禍における人間関係の在り方は切り離せないと思っています。デジタル空間では、受け身でもそれなりに成立したり、何となく話を聞いているうちにコミュニケーションが終わっていたりということがよくあります。
だからこそ、「自分が動かないと、自分が発言しないと何も起こらない」という状況をいかにつくるかというのは考えました。
石神さんも僕も演劇の人なので、即興劇のような、誰かが動かないと場が動かないという残酷さもちゃんと共有したかったのかなと思います。もちろん僕らがファシリテートするけれど、最終的に手綱はみなさんに渡していく、ということは意識していました。
野村: トモキというメンバーが手を上げて、場を回してくれたんです。あれは本当に助かった!
金田: それに、みんな妥協しなかったですね。「この人と組みたい」と思ったらなぜ組みたいかを自分からどんどん発言して、意外とみんな譲らないのが印象的でした。
野村: 当時運営の中でよく話していたのが、「好きとか嫌いとか言っていい」ということです。このプログラムのいうところの「やさしさのあり方」に本気で向き合おうとしたら、何度か話すうちに「この人とはテンションが合わないな」というのが必ずでてくるのはしかたないじゃないですか。それを馴れ合いではなくて、自分の気持ちとして表明するべきだと。
金田: 逆に意気投合する人も、かなり早い段階から引き寄せられていましたね。
野村: 連絡を取り合ったり、「2人で会って、話してきました」という人たちもいたね。
野村: このプログラムの隠れテーマの一つに「デジタルとフィジカルの越境」というのがありました。例えば、初日に好きな本を紹介しあって、その感想をスケッチブックに書いて見せあったのですが、zoomだからチャットに書いても済んでしまう話なんです。URLも貼れて便利ですし。でも、あえてスケッチブックというリアルなものに手で書かせる。
不便だし、伝わりきらないかもしれない。けどそれがきっかけのコミュニケーションがあります。質問をしたり、勘違いをして笑ったり。ほかにも、フィールドトリップに行って気づいたことをデジタル空間に持ち込むとか、前日に突然送られてきた500円玉を持って外に出るとか。
今の時代、デジタルで聞いたことをデジタルでアウトプットするのは簡単な気がします。だからこそ、フィジカルな発言やステートメントに落とし込むこと、行動に起こすことが大事だと思うんです。
このプログラムでそれがどこまで共有できたかは分かりませんが、何となく意識として伝わっているから、「リアルに会おうよ」とか「オフ会やりたいね」という声が上がったのだと思います。自分がアウトプットをつくるにあたって、納得の行くチームをつくるには今ここで発言しないとというモチベーションにもなったし、意識や行動にも知らず知らずに入り込んでいるのかも。
運営メンバーの二人が「やさしさラボ」から得たもの
野村: 僕はもともとアメリカで舞台美術の仕事をやっていて、ありがたいことに仕事には困らなかったのですが、ビザの関係もあってプロジェクトベースの下請けしか受けられなかったんです。劇団に入ってゼロから作品を立ち上げたり、もう一段階深いところまで入り込むことはできない。それで気持ちが離れて、日本に戻ってきました。
帰国してFabCafeに合流し、縁あって「やさしさラボ」で2か月を過ごしたわけですが、一つのワーク、一つのプログラムが終わっても「じゃあお疲れっした」と安易に離れられない怖さや苦しさのようなものと、もうすこし丁寧に向き合いたいと思うようになりました。「やさしさラボ」をきっかけに人や仕事との関わり方を改めて考えるようになり、今は文化振興に携わる仕事をしています。
金田: 今までは、一方的にイベントや場を提供して終わりという感じで、僕たちが伝えたい想いやメッセージが届いているのか、正直分からないことも多かったのですが、「やさしさラボ」を運営しているとき、参加者の方から「パナソニックさん、なんでここまでしてくれるんですか」と言われたんです。
そういった言葉を頂けたのは、ちゃんと僕たちが企業として持っている想いや伝えたいメッセージを、参加者のみなさんと向き合ってコミュニケーションをとることができたからなのだと思います。だからこそ、そういう企業としての想いや考えを今後もしっかりと持ちつつ、参加者の方々と向き合って伝えていきたいです。
野村: パナソニックぐらいの規模の企業が、こういう取り組みをするのはすごいことでもありつつ、けっこう合点がいくことでもある気がします。だって想いがなかったら、ここまで大きくなっていないはずですから。ただ機械的に物を売って、つくって、お金にしようというだけでは共感も生まれませんし、これだけのナショナルブランドにはなっていないはずです。
ブランドと参加者の間に金田さんをはじめとするパナソニックの方々が介在して、ちゃんとそういうことを伝えられたのは良かったのかもしれません。
野村: なんでだろうなあ……。やっぱりいっしょに何かをしたら楽しそうだからっていうのが大きいかもしれないですね。
パナソニックの方々とは、人としてつながっているという感覚があります。ポジションとか対企業ではなく、ちゃんと人を見て誘っていただいている感じがするので、できることなら喜んでやります、という感じです。
すこし脱線してしまうのですが、短いながら自分の人生を振りかえると、高校で生徒会長やったりとか、海外の大学に進学できたり、舞台美術でキャリアを積むことができたり……。自分が想定していなかったステップを踏み出せたときって、そのすべてに、自分の可能性を信じてくれる「年上の誰か」がいたと思っています。
「何をしたいかわからない若者」って多いって言われるし、実際多いと思うんですよ。その原因の一つは、褒められる経験が少ないことにあると思います。相当な自信家じゃない限り、自分の強みって自分だとなかなか気づけない。自分より歳を重ねている人が、自分のつくったものや行いを見て純粋に「褒めてくれる」って、すごくありがたいことだと思うんです。自分が気づかなかった自信につながったりする。
野村: もしかしたら「次世代育成」とかにもつながっていくのかもしれないけど、パナソニックのチームのみなさんが「野村さんにお願いしたい」と連絡をくださるし、「野村さんにお願いしてよかった」と言ってくださる。これは本当にありがたいことで、そんなふうに背中を押してくれる人がいるのであれば、がんばってみようと思えるんです。
だからこうやって仕事しているのだと思います。
野村: プログラム自体も影響していると思いますが、それ以前に「やさしさラボ」の企画書を見せた時点で引かれなかったことがいちばんうれしかったです。こんな抽象度の高い企画でもさじを投げずに「実験としてやってみよう」と乗ってくれる人がいるって、大きな組織であるほど稀有だと思うんです。
そういう方が上にいる組織なら、全然苦じゃない。実際金田さんをはじめメンバーのみなさんも、みんな楽しそうだった。だから、じゃあ僕も一肌脱いで、楽しんでしまおうと。仕事というよりも、友達に会いに行くような感覚で、それは今すごく必要とされていることだと思います
想像+創造=「ソウゾウ力」。考えることで可能性は広がる
金田: 昨今の状況からこれまであまり実現できていなかったのですが、パナソニックにはSDGsやSTEAM教育の実践の場として「AkeruE(アケルエ)」があるので、その拠点をうまく活用して、外部の団体とも連携しながら、若者たちが集い、何か新しいものがつくられるような場を実施したいなと思っています。
金田: さらに今後のビジョンとしては、海外で働きたいです。幼少期に海外に住んでいたのもあって、漠然といつかは海外で仕事してみたいと思っています。今、パナソニックでコーポレートブランディングに携わっているのですが、目に見えないブランドは商品と違って、価値を上げるのが難しいです。でも、だからこそブランディングというところで海外で挑戦したいなという思いはあります。
野村: 今は、クマ財団という公益財団法人で25歳以下のクリエイター支援をしています。ファインアートからエンジニアまで、いろいろな技能を持った方と話す機会が増えたので、さまざまな若い才能のクリエイティブが世の中でうねりを生むような仕掛けをつくっていきたいです。
金田: 「やさしさラボ」を含め、パナソニックセンター東京がたいせつにしているメッセージとして「ソウゾウ力」という言葉があります。イマジンの「想像」とクリエイトの「創造」に掛けているのですが、「ソウゾウ力」をたいせつにしてほしいと思います。
普段、「やさしさ」について考えることってなかなかないですよね。でも、考えなくてもいいようなことについて立ち止まって真剣に考えることで、自分で今まで想像していなかったような、やりたいことや進みたい道が見えてくる感じがしたんです。
自分が予想していなかったことや、今まで考えていなかったようなキャリアといった選択肢は想像によってぐんと広がると思います。特に若い人には自分がやりたいことや進みたい道について考えてほしいです。僕自身も明確に決まっていないので、いままさに考えている真っ最中ですが、「イメージしてクリエイトする」、そういったソウゾウ力をみなさんにも大切にしていってほしいです。
野村: めっちゃいいね。
野村: 僕が以前所属していたFabCafeは、カフェにデジタルファブリケーション機材があって、誰もがコーヒーを飲むような感覚でものをつくれるという世界を表現していました。「やさしさラボ」もそれに近くて、自分が「何かものをつくり得る」、「何かを生み出し得る」ということを確認したかったというのが原点にあります。
野村: 世の中いろいろある中で、考える必要のないことに思いを馳せたり、生きる豊かさを求めて思考をすることは決して間違っていないし、それをもとに何かを生み出したり、事を起こしたりできるという可能性をちゃんと感じたかった。
外に出られない日々が続いて、SDGsについて分かったような気になりつつ結局何もできていなかったコロナ禍に、「自分の足で動けば何かできるんだ」ということを、企画をつくった僕自身も、というか、たぶん僕自身が一番感じたかったんだと思います。同世代、自分自身も含めてですけど、そういうことを忘れないでいきたいな、と最近よく考えます。