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キニマンス塚本ニキさん「つながりたかった、だから離れた(それでもつながっている)」|僕らの時代 Vol.7

若き人びとよ。
つくりあげられた今までの世紀のなかで、あなたがたは育ってきたけれど、
こんどはあなたとあなたがたのこどものための世紀を、
みずからの手でつくりあげなければならない時がきているのである。

(出典:『続・道をひらく』PHP研究所)」

自分らしい価値観をたいせつに、志をもって活躍している人とコラボレーションしていく「僕らの時代」。第7回目のゲストは、ラジオパーソナリティのキニマンス塚本ニキさんです。


松下幸之助が未来を担う若者へのこしたメッセージに、今を生きる私たちはなんとこたえることができるでしょう。

言葉で世界とつながり発信を続けているニキさん。いまという時代だからこそたどり着いた”自分との過ごし方”について、想いをつづってくれました。

キニマンス塚本ニキ
1985年 東京都出身。9歳から23歳までの14年間をニュージーランドで過ごす。子どものころから環境や人権などエシカルイシューに強い関心があり、フェアトレード事業や動物保護NGOでの勤務経験がある。翻訳家、通訳者としても活躍し、2020年8月に公開されたフードロスをテーマにした映画『もったいないキッチン』には通訳兼出演者として参加。現在は「知識を楽しく学び、深く考える」ことをベースとしたTBSラジオの番組「アシタノカレッジ」にて月曜日~木曜日のパーソナリティを務め、さまざまなフィールドで活躍するゲストと対談している。

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★★★

つながりたかった、だから離れた
(それでもつながっている)

先行きが不透明な時代、と言われるようになって久しいが、これまで先が見えていた時代なんてあっただろうか。

「何が起こるかわからない。まずそれだけの覚悟を、お互いにしっかり持っておきたい。きょうはきのうの続きで、あすはきょうのつづきで、だから毎日が事もなくつづくとは、何の保証もないのである。」と何十年も前に松下幸之助さんが書いておられるように、先行きが見えないなんて至極当たり前のことなのだ。

何を信じればいいのか、何に期待していいのか。
わかりやすく出てこない答えを求めて奮闘する世の中は不透明で不明確な事ばかりだ。
それは今に始まったことではないけれど、この2年間で今までにないほど強く痛く感じざるをえなくなった。

そんな時代に私たちは適度に距離を空けたり、触れ合わずにつながれる方法を模索しながら、それぞれの場所でなんとかかんとか生きている。

集まる、という事をしなくなっただけで年月の節目がぼんやりとなってしまった。
時間の感覚が歪んでいるんじゃないかと思うときもあるけれど、私たちの地球は休むことなく周り続け、細胞たちは周期ごとの死と再生を絶えずくり返している。

あらゆることが停滞しているように感じるけど、すべて停まっているわけじゃない。

ちょっと前まで手放しで謳歌できていた自由の一部を失ったままの生活はもどかしく、はがゆい。そんな中で少しでも確かなものを見つけて安心したいというのは自然な願望だろう。


話は飛ぶが、最近、約10年ぶりに一人暮らしを始めた。実家を出てからずっとシェアハウスやルームシェアに暮らしていた自分がコロナ禍の今、一人で住むとか、少し前の自分には想像できなかった事だ。さみしがりやか、と突っ込まれても否定はできない。

久しぶりの、ひとりぼっちの暮らし。

長年のシェア生活はこの上なく居心地が良く、安心と信頼で満たされたこともあれば、他人の存在が煩わしくて極力自分の部屋から出ようとしない時期もあった。

それでも、コロナ禍が到来した当初は急激に社会情勢が変わりゆくのを呆然と眺めながら、いざという時には助け合おう、と同居人と励ましあっていた。

助け合い。分かち合い。今の時代こそ必要なものに違いない。
だけど、へたった時に支えてくれそうな人がいるとつい全体重を預けてしまいたくなる私は、加減というものを知らなかった。

信頼できる相手となら幸せは二倍になり、悲しみは半分になる、なんて言葉があるが、密閉された空間に有象無象の不安やストレスが共有されても息苦しさや怒りを増幅させてしまう事もある。

2020年の春から初夏にかけての時期、私も自分と他者の不安とストレスが共鳴し合うような日々を送っていた。今思うと「プチうつ」と言われる状態だったように思う。

沼のような息苦しさから解放されたくて恋愛やネットに依存気味になったりもした。沼のどん底に沈んだまま自分が何者なのか分からなくなってしまうのが怖くて、よせばいいのにTwitterの議論に飛び込んで行って支離滅裂な自論を炸裂しては火傷を受けた。(それから数ヶ月間SNSはお休みした)。こういう時こそ本質的な対話を、と闇雲にパートナーにコミュニケーションを求めすぎて空中分解した関係もあった。

松下幸之助さんの「道をひらく」にこんな言葉がある。

『一犬影に吠ゆれば万犬声に吠ゆ。何かの気配におびえた一匹の犬が、もののけにつかれた如くけたたましくほえたて始めると、その声におびえた犬たちが、次から次へとほえたててゆく。ついには、何のためにほえているのかわけもわからぬままに、ほかの犬がほえているから、だから自分もほえる。(中略)犬だけではない。お互いのこの世の中、手前勝手な声ごえで、何とはなしに騒々しくなってきた。あちらが勝手ならこちらも勝手。勝手と勝手がぶつかり合って、とにもかくにも大きい声。そんなこんなで無用のまさつが起こり、わけのわからぬかっとうで自他ともに傷つく。』

松下さん、今の世の中を見たらなんと言うかなぁ。

あの頃の自分をふりかえると、ただ安心したくて必死だったんだと思う。

不安に満ちた日々だからこそ、誰かに一緒にいてもらいたい、安心させてほしい、自分の言葉を聞いてほしい、と、自分を満たしてくれる他者が現れるのを願い、それが叶わないとなぜこんなに孤独でなければならないのか、と自分の境遇を呪い、嘆いた。愛と思いやりを分かち合いたくて、その結果自分も他人も傷つけまくっていたのだから、なんとも皮肉な話だ。(笑ってくれよ、こんな不器用なオイラを。)

思い出すとのたうち回りたくなるほど不格好なザマだったと思うが、あれから2年弱経った今、私はおかげさまで自分の孤独とあの頃よりはずっとうまく付き合えるようになった。と、思う。思いたい。

自分から進んで一人暮らしを選び、誰かの共感や理解を求めたくなる弱さもろとも、自分自身と過ごす時間の意味を考えながら生きている。
ツイッターは相変わらず続けているけれど、言葉や思想で争うことへの使命感は最近はあまり顔を出してこない。

私が生まれるよりずっと前に建てられた集合住宅は日当たりと見晴らしがサイコーに良くて、空気が澄んだ冬の日にはうっすら富士山まで見える。ほぼ何にも遮断されない青空がゆっくりと色を変えていく様と、遠くの山々のシルエットをぼけーっと眺められる贅沢を堪能している。

今でも私は誰かとつながりたいし、寄り添いあったり言葉を交わしたいと思う気持ちは変わっていない。
けれどその「誰か」がまず「自分」でなければならないことにやっと気づけてからが、再出発だったのだ。

自分なりの愚直で不器用な形でつながったり離れたりしながら生きていくために、何よりも必要なものがそれだったんだと思う。

時間を超えて松下さんの言葉がこう語りかけている。

『今こそ心静かに、ほんとうに何が起こり、何が大事で、何をなさねばならないのか、自他ともの真の幸せのために、広く高く深く考え合ってみたい。そんな時なのである。』


★★★

noteマガジン『僕らの時代』は、様々なフィールドでソウゾウリョクを発揮し、挑戦を続けている方々とコラボレーションしていく連載企画です。
一人ひとりが持つユニークな価値観と生き方を、過去からのメッセージに反響させて“いま”に打ちつけたとき、世界はどのように響くのでしょうか――。

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