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心にまっすぐ届く。業界の先駆者、中川政七商店に学ぶブランディング(後編)

生活雑貨店を全国展開する奈良の老舗企業・中川政七商店の十三代目、中川さんは、独自の経営改革で自社の売上高を3倍超に拡大し、工芸の再興に取り組んできたカリスマです。ビジョンやブランディングの本質についてお話を伺った、その後編です。

前編はこちら

パナソニック デザイン本部 岡澤佳恵

中川さんは2002年に中川政七商店に入社し、2008年に社長に。その間、会社は増収増益を続け、2010年からの10年間で売り上げ規模が3倍超に拡大したと伺っています。大学卒業後は一般企業に就職されたそうですが、もともと家業を継ぐことは考えていたのですが?

父から家業を継げと言われたことは一度もなく、どんな仕事をしているのかもよく知らなかったので、継ぐことは全く考えていませんでした。大学卒業後は大手IT系メーカーに入社して2年ほど楽しく働いていましたが、頑張って成績を出しても課長になれるのは早くて10年目くらい。大企業にはないスピード感を求めて中小企業にいきたいと考え始めるようになりました。

ちょうどそのとき、2001年に遊 中川が恵比寿にアンテナショップを出したんです。働くならIT以外で伸びる会社がいいと考えていたので、転職気分で父に「戻る」と伝えたら、まさかの「あかん」と。厳しいことも言われましたが、頭を下げて入らせてもらいました。後に父が何かの取材で「内心はうれしかった」と語っていたようですが。

入社後は非常に短いスパンで大きな経営改革をされていますが、卸から小売りへの転換や直営店の拡大などは早い段階で念頭にあったのでしょうか?

家業に戻ったものの、入社前に経営の勉強や、繊維業界での修行はしておらず、継ぐ前提のキャリアもない。なので大きなビジョンがあったわけでもなく、最初は目の前に山のようにある小さな問題を改善していく日々でした。反発や失敗ももちろんありましたが、自社のために何をすべきかを考え、ひたすら実践し続けた結果が今につながっている感じですね。

1985年に初の直営店として創業地に誕生した「遊 中川 本店」1階は、「中川政七商店 奈良本店」の一部としてリニューアル。日本の染織技術から生まれた服や服飾小物が並ぶ。

ブランディングも同じで最初は我流でした。当時はブランディングの本も広告に関することがほとんどで、今のような本質的な部分について書かれたものがなかったので。競合他社の商品と並べられる中で、どうやったらこの次元、デザインや値段を延々と勝負するところから抜け出せるか、根本的にどうやって勝つかを考えました。

ブランディングで中川政七商店ほど成功されている企業は少ないですし、先駆者的な存在ですよね。後追いで似たような企業は出てきていますが、質の面でも突出している印象です。

ブランディングというと「デザインを良くすること」「付加価値」と思っている方も多いかもしれませんが、デザインは手段の一つに過ぎません。もっと本質的に伝えたいことがあって、デザインやコミュニケーションによってお客様に伝わっていった結果、お客様がブランドや会社に好感を持ってくれるのです。その部分があまり理解されていないと感じることは多々ありますね。

「本質的に伝えたいことがある」は大きなポイントかもしれませんね。社内さらには社外のお客様とのコミュニケーションで心掛けている点はありますか?

ブランディングにおいてコミュニケーションは切っても切り離せないものですが、重要なのは、人には基本的に“伝わらない”という視点。話した方は1回言ったら伝わっているつもりでも、それは伝えただけであって伝わってはいないものです。“日本の工芸を元気にする!”というビジョンにしても、社内に浸透しておのおのが体現するに至るまで5年くらいかかっていますから。

日本全国800を超える作り手と協働した約3,000点のオリジナル商品や、奈良の伝統工芸品や奈良在住の作家の作品が並びます。オリジナル商品がすべてそろっているのは奈良本店のみ。

お客様に対して中川政七商店をどう認識してもらうか。お店にビジョンは一切書いていませんし、例えば3回買い物してもお店の名前を知らない人だっています。来店する理由も単純に商品に興味があったからかもしれないし、私の書いた本がきっかけかもしれない。いろいろなお客様がいらっしゃるので、その興味・関心に合わせて情報を出していく必要があります。このように認識してもらうプロセスを踏むことがブランディングであり、コミュニケーションともイコールだといえます。簡単ではありませんが、全社で同じ方向を向いてやり続けるしかありません。

最近、モノからコトの世界観とよく言われますが、さらに一歩進んで会社の思想や価値観、ビジョンも含めてお客様に伝えなくてはいけない。そこに共感や信頼が生まれてブランドができると思っています。ですから、トップが伝えたいことを掲げないと始まりませんし、外部の人にデザインを整えてもらうことがブランディング、というのは本質的にはありえません。当社はメディアで“老舗ベンチャー”と呼ばれることがありますが、会社として長い歴史の恩恵を受けつつ、今やるべきことを定めてやっているという意味では、正しいかもしれません。

“日本の工芸を元気にする!”ですが、なぜ自社だけでなく日本全国の工芸に対する広いビジョンを打ち出されたのですか?

背景には先ほどお話したように、当時お付き合いしていた職人さんや工房が次々と廃業していったことへの危機感や、一消費者として日本の伝統的産業が無くなっていく寂しさ、加えて当社のようにブランディングをしっかりやれば同業他社も生き残る道はあるのではないか、この三つの思いが重なってビジョンが生まれました。もちろん売り上げや利益を上げることは会社としてやるべきですが、今の時代それだけでは違う。何らかの社会性が必要で、ある意味、必要に駆られた部分もあります。

日本の工芸産業に対するコンサルティングや「大日本市」は、ビジョンに対する具体的なアクションとして行われているものですよね。

パナソニックミュージアム 杉野勇起

今はビジョンやパーパスってある種のブームですが、ビジョンを掲げた以上は絶対にコミットしないといけません。私は会社の利益よりも上位の概念だと思っています。社員にもそれは強く伝えてきましたし、ビジョンにつながらないことは、どんなにもうけ話でもしないと決めています。

ビジョンを達成するにはプランが必ずありますが、当社の場合は日本の工芸に関わる会社が経営的に成り立つようにすること、ものづくりの誇りを取り戻すこと、この二つです。工芸は長年の産業構造により問屋さんから発注されたものを作り、それがどこで売られているか分からないという状況でした。その現状を改善するために、経済面で一番良いのは当社が買って支えることですが、限界があります。ならば、直接経営改善に乗り出すしかないと思ったので、自社ブランドの立ち上げの支援や「大日本市」という合同展示会を開催し、販路の確保を行ってきました。アイテムは多少違えど同じ売り場に並ぶので、短期的に見ると当社の売り上げは落ちることになりますが、経営が立ち直った会社が将来的に当社とともにものづくりが出来るとよいですし、業界全体の底上げにもつながりますから、プラスに捉えています。

業界への責任感、使命感を強く感じました。

「伝統工芸」ってポジティブとネガティブの両方の意味を含んだ言葉だと思うんですよね。例えば自動車は100年以上前からありますが、誰も伝統自動車産業とは言いません。それは進化し続けて今の生活に必要とされているからでしょう。ある意味、工芸のようなアナログ的なものはいらないと思われがちですが、進化の道筋はあるはず。デジタル偏重の世の中で本当に幸せな暮らしを実現するために、必要とされるものを作っていかなくてはと思います。

株式会社中川政七商店13代 中川政七さん

最後に中川さんの経営者としての思い、今後についてお伺いできますか?

父から代替わりしたときに言われた言葉で印象に残っているのは「とらわれるな」です。当社には社是や社訓はありませんが、300年続けてこられた秘けつがあるとすればこの言葉だと思います。よく激動の時代といいますが、世の中が変わり続けるのは当たり前。最適と思って始めた仕組みも、その瞬間から劣化しますし、今好調な生活雑貨の事業も未来永劫続くかは分からない。続けるための最大限の努力はしますが、少しずつ形を変えていかないと絶対に生き残れないと思うんですよね。ですから、300年の歴史に感謝はしつつも、執着し過ぎないようにしています。

300年の歴史に触れる「時蔵」には、毎年の成果物が資料として保存。421年分の桐箱の引き出しが並び「古きから学び、進化し続けること」という中川政七商店の強い想いを感じる。

私が掲げたビジョンはまだ全然達成されていませんし、新たに厳しい現実も見えてきました。それはサプライチェーンの崩壊。工芸は分業で成り立っているので、工程のうち一つでもつぶれたらおしまいです。サプライチェーン全体を元気にして維持するには前後の工程を統合する「垂直統合」が解決策の一つとして挙げられますが、お金のかかる話ですし、もうからない工芸の世界で誰がリスクを取るかというとなかなか難しい。それを成立させるためのヒントとなったのが産業観光です。工芸の良さや価値は、実際に作っている現場を見てもらえば、細かい端々の気配りも含めて伝わるはずです。中川政七商店は奈良の産地、町全体がどうやったら元気になるかを今まさに真剣に取り組んでいます。産業観光と製造背景の垂直統合を実現できたら、日本の工芸が生きる道はあるんじゃないか。世界中で工芸が衰退していく中で、日本だけ残り続けたら100年後には工芸大国ニッポンと呼ばれているかもしれないので、諦めずにそこを目指して挑戦し続けたいと思っています。

インタビューを終えて――

経営者の方からデザインやブランディングについてお伺いする機会はなかなかないので、良い経験になりました。デザインは手段の一つに過ぎないし、そこにどんなビジョンがあるのか、果たして本当に実行できているのか、デザイナーとして感じる部分は多かったです。創業300年という歴史は受け止めつつ、とらわれ過ぎない。中川さんの良い意味での軽さ、明るさにインスピレーションを受けました。

※ここで紹介しきれなかった中川さんのお話の続きは、動画でぜひご覧ください。番組後半では松下幸之助の思想とも照らし合わせながら、さらに深い思いを伺っています。


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