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明日を生きる安心と希望がつなぐ未来

世界がどんなに変わっても、幸せを求める気持ちを止めてはいけないと思う。社会で生きる企業として、また、この時代を歩む一員として、この先の社会と接続していけるように、未来に対するソウゾウリョクをはたらかせる。新連載「日に新た」では、一人ひとりの異なる“幸せ”のチカラになるためにパナソニックが取り組んでいるプロジェクトや、はたらく社員の可能性を広げるための新しい制度、社員が取り組む活動などをお伝えしてきます。

第一弾は、パナソニック株式会社 戦略本部 CCXOチームの姜花瑛(かん・ふぁよん)さんからのレポートです。個人としてNPO法人を支援している姜さん。パナソニック社員を含め、社会に生きる一人ひとりが寄付やNPOの活動にもっと興味・関心を持ち、自分の立場でできることを考えるきっかけになれば、と今回のレポートを寄せてくれました。

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はじめに

先日、わたし個人がささやかながら支援している団体のひとつ、NPO法人「抱樸(ほうぼく)」 を訪問してきました。そこには、コロナ禍でやり方を模索しながら続けている炊き出しや深夜パトロールをはじめ、一人ひとりの確実な未来のために抱樸の皆さんが休みなく奮闘されている姿がありました。北九州市を訪れ、抱樸の活動を自分の目で見て聞いて感じたことで、確実に自分の中で変化が起こったなと感じます。今回こうして自分の言葉で発信しようと思ったのも、金銭支援というかたちだけでなくわたしの立場で何かできることをしたいという想いから。

「誰もが健やかに生きることのできる未来」を目指すとき、今回の抱樸訪問をきっかけに考えさせられたこと、感じたことが、とても重要なテーマになる気がしています。わたしたち一人ひとりが、未来に向けて何ができるのか、一緒に考えてみませんか。

今回紹介する抱樸の理事長の奥田知志さんは、2018年から「Panasonic NPO/NGOサポートファンド for SDGs(世界的な社会課題である『貧困の解消』に向けて取り組むNPO/NGOの組織基盤強化に助成)」の選考委員も務めてくださっています。 


NPO法人「抱樸」について

抱樸は、「誰一人として取り残されない社会をつくりたい」という想いで、北九州市でホームレス状態にある方や生活困窮者に対し伴走型支援を行っているNPO法人です。

伴走型支援
「伴走型支援」とは、抱樸が提唱した支援のあり方です。深刻化する社会的孤立に対応するために、「つながり続ける」ことを目的とした支援として生まれました。伴走型支援は「解決」という結果ではなく、「つながり」という「状態」を重視します。どんな結果になるのであれ、「生きてつながっていること」に最大の価値を見出します。決して「ひとりにしない」こと。それが抱樸の「伴走型支援」です。

抱樸の活動について、詳しくはぜひ抱樸のホームページを読んでいただきたいのですが、理事長の奥田さんが1988年に炊き出しをはじめた活動を皮切りに、居住支援、就労支援、子ども・家族支援など様々な事業を通じて、経済的に困窮されている方の自立支援を行ってこられました。炊き出しで配ったお弁当の総数は14万7,895食、抱樸の居住支援を受けて家に住めるようになった人の数は3750人にものぼるとのこと。現在は、地域に開かれた複合型福祉施設を拠点とした希望のまちプロジェクトに挑戦されています。

ひとりの人が社会と繋がりを持てるようになるまでをサポートする抱樸の27事業

北九州市内では、34年間にもわたる抱樸の活動によって、夜の商店街でダンボールハウスに寝ている人がたくさんいた風景も、今では一見するとホームレスの方がいるとはわからないようになっています。一時は北九州市に約450人いたホームレスの数も今では約50人にまで減少したといいます。

わたしが訪れて感じた北九州市の印象は、昭和のノスタルジーが残りつつも
若い人もいて活気がある、住みよさそうな城下町

レポートを書くきっかけになった抱樸ツアー

2日間の抱樸ツアーでどのようなことをしたのか、簡単に紹介したいと思います。とてもありがたいことに、たった2日間とは思えないほど濃い体験をたくさんさせていただきました。奥田さんをはじめとする抱樸の方からの活動紹介にはじまり、活動拠点となる「抱樸館北九州(※1)」「プラザ抱樸(※2)」といった施設見学、地元の中学校で開催された「生笑一座(※3)」の鑑賞、元ホームレスで現在は抱樸で世話人をされている方々からのお話、炊き出しや深夜パトロールのボランティア活動への参加などです。

抱樸ツアーの主な内容

※1 抱樸館北九州
ホームレス状態からそのまま入居でき、複数の担当者が伴走してくれる居住支援施設。
※2 プラザ抱樸
単身生活は営めるものの、日常的な見守りや時として専門的な生活支援が必要な方のための、見守り支援付き住宅。
※3 生笑一座
「生きていさえすれば笑える日は来る!」をキャッチコピーに、奥田さんと元ホームレスの方が漫才形式で繰り広げる経験談

これまでも様々なメディアを通して抱樸の活動のすばらしさは知っていたつもりでしたが、自分で現場を訪れて、当事者の方から直接お話を聞いたり、炊き出しやパトロールに参加して得た情報量と感じたことの複雑さは、これまでの「知っている」「考えている」とはまったく深度が違うものでした。
元生活困窮者の方が今では生き生きと抱樸で世話人として活躍されていること、居住支援のための持続可能な事業モデルの構築、希望のまちプロジェクトに向けて動き出している新しいまちづくり…、本当に様々な視点で話ができる抱樸ですが、今回は「誰もが健やかに生きることができる未来」に向けた気づきとして、3つにまとめることにしました。


1.見えない声に気づき「助けて」を言ってもらえるまであきらめない

抱樸の事業のひとつにホームレスの方への居住支援があります。居住支援という言葉から、わたしが想像していたのは住宅斡旋です。けれども、実際はホームレス状態の方が抱樸館に入居するまでには、驚くほど多くの段階を経て長い時間がかかっていることがわかりました。
これまでわたしは、ホームレスの方はとにかく支援を切望されていて、抱樸の支援もすぐに受け入れられるものだと思っていました。説明を聞いて驚いたのは、野宿している方に「部屋を準備したよ」と言っても、すぐには受け入れてもらえない場合があるということです。路上で語りかけてから、実際に「助けて」と言ってもらえるようになるまで、何年もかかる人もいると。その理由は、「自分なんかが他人や生活保護などの行政の支援に頼ってはいけない」と思い込んでいたり、「どうにもならなくなってしまった自分の状況が恥ずかしい」というような感情を持っていたり、そもそも自分が生きることに対して絶望していたり、人それぞれだといいます。

元ホームレスの方の発言で「自分が助けてと言えた時が、助かった時」という言葉もありました。彼らと社会との断絶は、助けてくれる人に出会っても簡単には「助けて」と言えないほど大きく、それを埋めるために、彼らがもう一度生きたいと思えるまで、あきらめずに抱樸が語りかけ続けてきた時間があったのだということを知りました。

毎週末に実施されるパトロール。抱樸は誰がどのエリアにいるかを把握しており、支援品を渡すだけではなく、会話からその人が置かれている状況を聞き出し、必要な支援に繋げる。

少し視野を拡げて考えてみると、この社会で「助けて」と言うことができないのは、ホームレスの方だけではありません。わたしの周りにも、大きさや深さの違いはあれど、「助けて」と言えず苦しんでいる人はいるはずです。近年のうつ病増加や、若者の自殺率が増加していることも、そのことが少なからず関係しているのではないでしょうか。自分を甘やかしたり、他人に頼ったりすることが難しい、そんな生きづらさを抱えた人はわたしの周りにも必ずいる。「助けて」と言えるように、もしくは言ってもらえるように、まずは周りの人と接する際に、想像力をもって聞こえない声に気づくこと、そしてその声に気づいたら、あきらめずに語り続けることが大切なのだと思います。

2. 自分を含む誰かの失敗を許容できるようになること

「誰もが健やかに生きることのできる未来」は、誰もがやり直せる社会であってほしいと思います。刑務所から出所された方の支援も行っている抱樸。
印象に残ったのは、アルコール依存症の方が起こしてしまった器物破損等の裁判で、裁判官の方が奥田さんに対して、「彼がもうお酒を飲まないで、奥田さん達の指導に従うのであれば、彼の身元を引き受けてもらえますか?」と尋ねたことに対して(身元引受人がいる場合、刑が軽くなる可能性が高まる)、奥田さんが「ちょっと違います。お酒を飲まなかったら引き受けるのではなく、引き受けたうえでお酒を飲まないでもらいます。」と言ったエピソード。
一瞬、言葉の順番が違うだけに聞こえるかもしれませんが、この違いがとても大切だと思います。生きていれば、大きな失敗をしてしまうことも、過ちを犯してしまうこともある。そして自分ひとりでどうにもならなくなった時に、理由があって家族に頼れないこともあるでしょう。そんな時に、まず寄り添ってくれる、そのことがどれだけの安心感につながるか。

自分の目の前のその人の幸せをあきらめずに求め続けることー。奥田さんは社会から孤立してしまった人を自己責任という言葉で切り捨てず、「自分たちには出会った責任がある」と言い、向き合い続けます。自分の正しさに当てはまる人だけを支援するのではなく、どんな人であってもまず引き受けるという意志を持って活動されている奥田さん。誰もがやり直せる社会とは、(もしかしたら)その誰かが失敗するかもしれないリスクを許容できる社会。理想の言葉の上っ面だけを唱えるのではなく、その下に隠れた人間のどうしようもなく愚かな部分を、わたしたちはお互いに覚悟をもって受け入れることが必要なのだと思います。

生笑一座に出演されていた松尾さん(右)は、アルコール治療のため入院し、退院されたばかり。「もうお酒は飲みません!」と何度目かの宣言。

3.価値観が違っても、関係を持ち、対話を続ける

長年続けてきた活動の甲斐があり、今では地域社会から認められている抱樸ですが、(行き場のない10代の女性が訪れた携帯ショップで、「ここに行ったらなんとかしてもらえるよ」と抱樸を紹介されたというエピソードも!)支援をはじめた当初は、ホームレスを支援することに対して、活動拠点の近隣住民から文句や差別的なことを言われたり、嫌がられたりという過去もあったといいます。けれども、必死に活動を続け、何年も対話をすることをあきらめなかった。そうするうちに、ある日突然「ごめんなさい、自分が間違っていた」という謝罪を聞くことができたそうです。今では抱樸に反対していた方も強力な抱樸の支援者となってくださっているとのこと。

この話を聞いたとき、わたしは、自分の考えや発言に対して無理解な周囲の反応があった場合に、いかに自分が他者と対話をすることを諦めてしまっているだろうかと反省させられました。自分のくらしの中で、「この人はわたしとは違う価値観だ。」「この人に言ってもわからない。」と他者と対話することから逃げてしまっている、関係を持つことすら避けてしまっていることが、どれだけあるか。けれども、対話を続けることで、相手(もしくは自分)の価値観や考えが変わり、共生社会に一歩近づけるということを、抱樸が証明しています。


確実な明日の先にある未来

現代社会の歪みから生じた目の前の孤立と困窮から決して目をそらさず、向き合い続ける。抱樸に教えられたことは、一人ひとりにとってちゃんと生きる希望と安心がある今日、そして明日、そんな一人ひとりのくらしの積み重ねの先に、「誰もが健やかに生きることのできる未来」があるということ。

目の前の人から逃げずに、対話することをあきらめない、相手が誰であっても助け合う。日々のくらしの中でそんなことを意識して生きていくことができるようになれればいいなと思います。もちろん、少しずつ。


レポート後記

抱樸を訪問して、様々な方の人生の物語を聞きました。わかったのは、ホームレスという状態は、自分、そして自分のくらしと繋がっているということ。たまたまその環境で暮らしていたから、ひょんな出来事から路上生活を送るようになったー。きっかけは小さくて些細なことだったりします。誰もがその立場になる可能性がある、わたしだって、いつそうなるかわからない。けれど、抱樸のようなセーフティーネットがあるとわかるだけで、安心できる。

抱樸の深夜パトロールで、奥田さんや抱樸の方たちとホームレスの方が、家族や友だちのように「最近どう?だいぶ寒くなってきたなぁ」と話をする様子は、彼らが支援する側・される側の関係ではなく、この街で一緒に生きているから助け合う、そんなシンプルなことなんだということを強く感じさせました。いつか自分が立ち行かなくなった時がきたら、北九州に行けばなんとかなる、心からそう信じられる場所に出会えてよかった。そして、わたしもまた誰かの安心をつくれる人になれるといいな。この文章を読んでいただいた方に、少しでも抱樸の素晴らしさが伝わったなら嬉しいです。


NPO法人 抱樸
「ひとりにしない」社会を目指して、1988年から福岡県北九州市を拠点に、主にホームレス状態にある方をはじめとする生活困窮者への支援を行っているNPO法人。抱樸とは、原木・荒木をそのまま抱くことを意味します。抱樸という言葉に込められたのは、名前のあるかけがえのない「誰か」と出会い、ありのままに「受けとめ受けとめられる」関係を築きたいという願い。

姜花瑛
パナソニック株式会社 戦略本部 CCXOチーム。入社後、デジタルカメラやオーディオ等AV機器分野でプロダクトデザインを担当した後、デザイン先行開発チームFUTURE LIFE FACTORYでの新規事業推進、オートモーティブ社の車室空間ソリューションなど、様々な分野でビジョンをかたちにするためにデザイン領域を越境し、活動の幅を拡げてきた。2022年4月より現部署にてコーポレートブランディングに携わっている。


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