子育てしながらキャリアを積み重ね、自分も成長したい。
「狭い視野を広げること、それがテーマでした」。マーケティングに携わる森本なずなは、学生時代を振り返った。生まれ育ったのは北陸の小さな町。周りはみな顔見知りで、優しいけど内向的。縛られているような窮屈さを感じていたという。「とにかく広い世界を見たい、知りたいと思い、関西にある大学の国際文化学部に進みました」。
キャンパスのある街は都会なのに海も山もあり、明るく開放的。留学生も大勢学びに来ている。学部の方針は文化や言語を学び、グローバル社会で活躍するためのコミュニケーションスキルを身に付けること。森本はコンプレックスの克服に挑んだ。講義を通じさまざまな文化の知識を習得。国内外から集まった友人たちと積極的に交流。アメリカ留学で、将来のビジョンも見つけた。
留学先では、心理学や社会福祉学、メディア論、ゴスペルまで貪欲に講義を受けた。住んでいたシェアハウスには各国から留学生たちが集い、賑やかな日々。学びも遊びも一生懸命。コンプレックスに悩む暇などなかった。そんな留学生活を通して度々感じていたことがあった。日本製品へのリスペクトが想像以上に高いことだ。
「なぜ?」 疑問が残りつつも誇らしく、そこに関わる仕事がしたいと考え、焦点を定めた。「日本製品をつくる技術者を支援し、世界中の人が豊かになるような仕事をしよう」。就職はメーカーをめざそうと思った。
帰国すると就職活動に入り、自動車や電機、鉄鋼などさまざまなメーカーを検討した。大学が関西なため、パナソニックにも興味はあった。地域に根付きつつもグローバルに打って出る、伝統と新しさを合わせ持つイメージに、惹かれるものがあった。
決め手はその面接。頭によぎった留学中に芽生えた疑問をぶつけた。「なぜ日本製品が世界でリスペクトされるのか?」。面接官も共感してくれた。「日本では職能が異なる仲間が、チームワークで理想をとことんすり合わせてものをつくる。その成果ではないか」。腹落ちし、こういう答えを持った方たちがいる会社で働きたいと思った。
入社して配属されたのは、自動車関連部門の営業本部だった。1、2年目はPCを駆使して事業計画の取りまとめ。2年目後半から、立ち上げられたばかりのマーケティング部でカーオーディオの拡販を担当。そして第一子の育休を経て、6年目からは買収したスペインの企業Ficosaとシフターの電子化商材の共同開発、拡販に携わった。人の命を預かるものに対し、自動車メーカーであるお客さまが真摯にこだわり開発する姿勢。的確に対応するパナソニックの技術者の姿勢。
熱い想いを間近で感じ、推進に力が入った。だが課題も大きかった。Ficosa社とパナソニック、どちらが商品開発を主導するのか。日本とバルセロナで、議論は紛糾。手探りで人間関係を築きながら、マーケティング担当としてプロジェクト全体の方向性を合わせていった。「私の中で、血となり肉となり、後の業務推進での指針となっている成功体験です」。
さらに第二子の育休が開け、現在、森本はマーケティング責任者として新たなビジネス獲得に向けた「業界俯瞰」と、マーケットインに向けた「入口検証」を担っている。
商材はADAS=先進運転支援システム。100年に一度の大改革といわれる昨今のモビリティ社会。ちょっと専門的だが、「CASE」と呼ばれる自動車業界の4つのトレンドがある。「Connected=コネクテッド」「Autonomous自動化」「Sharing=シェアリング」「Electrification=電動化」、それぞれが進んだ時、クルマが「ソフトウェア・デファインド」の世界へシフトすることが予測される。たとえるなら「クルマのスマホ化」。すべての機能をひとつのコンピュータが担い、ソフトで機能をアップデートさせていくイメージだ。クルマのアーキテクチャーも産業構造も、ガラリと変わる。従来の商品開発は、自動車メーカーが考えるロードマップをベースに要望を受けて進めていたが、もはやメーカーの領域も超えている。時代の先読みも難しい。
真価が問われる、森本の手腕。危機感の社内共有化をめざす一方、いろいろな視点から情報を集め予測を立て、戦略ロードマップを策定するための社内横断プロジェクトを推進している。「地道なマーケティング活動を通じて、将来の市場環境の見える化を図り、協力し合える仲間をつくる。それが大きな組織のベクトル合わせにつながる。やりがいあります」。
森本には夢がある。収支責任を持つようなキャリアを積み、いつか車載事業をマネジメントするような立場になって、地域社会を活性化することだ。「子育ても懸命に、私も成長していきたい」。視野は先へ先へ広がっている。
<プロフィール>
*記事の内容は取材当時(2021年10月)のものです。