自分らしさを活かして 働く人のサポートをしたい。
試合中の本当に苦しい時間、不思議と彼女の声だけはよく聞こえる。高校時代のテニス部の仲間からは、そんなことを言われた。それは声の大きさが理由ではなかった。「みんなの様子を見ていて、どんな言葉をかけたらいいのかって考えていたんです。誰かがしんどい時、私の声で笑顔を取り戻せたら嬉しいって思っていたから」。
大学で、以前から興味のあった中国文学とともに教育学を学んだのも、子どもたちを笑顔にできるような仕事をしたいと思ったから。文学部と教育学部、その掛け持ちはラクではなかったが、やってみないであきらめることは嫌だった。授業が終わるとサークルへ、バイトへ。何ごとにも全力であった彼女が事故に遭ったのは、そんな日々のなかのことだった。
足が自由に動かせない。それまで当たり前だったことは、当たり前でなくなってしまった。すべてに投げやりになりそうな時、彼女の力になったのは友だちだった。いつもと同じように、ただ側にいてくれること。それが嬉しかった。少しずつ笑えるようになっていくなかで、ふいにこんなことを言われた。「大学の単位、落とさないのが目標なんでしょ」。その時は、まだそんなことは考えられていなかった。でもその言葉は「あきらめるなんて、らしくないよ」と言われているように聞こえた。私らしいこと。そうだ、あきらめないことだ。友だちは出席できなかった分の授業のノートを集めてくれた。授業によっては、特別課題で単位が取れるよう、教授にかけ合ってくれたりもした。自分でも必死に勉強をした。そして、ひとつも単位を落とすことなく卒業できた時、友だちと一緒にたくさん笑った。
「事故があって私は、もっと人のことを考えられるようになったと思います」。就職活動でメーカーを志望したのは、世の中にある普通のものが、実は人によっては使いにくいかもしれない、ということに気付いたから。それを改善できるモノづくりの会社に入りたいと思うようになった。なかでも、障がい者の雇用を積極的に推進しているパナソニックは、実際に働くことを想像すると安心であったし、そういう企業の方が人を幸せにできる気がした。そして、ネットで見つけた創業者の記事を読んで、パナソニックがお客さまの目線でものをつくっていることを知った時、「私は、きっとここに行くべきなんだ」と思った。
配属先は人事だった。障がいがある人と同じ目線で商品を企画してみたいと思っていたため、正直第一志望ではなかったが、とりあえずやってみようと思った。やる前にあきらめるのは、自分らしくない。最初の1年間はエアコンの事業部の給与・福祉に関する業務や、従業員の異動・配置の運営などを行う任用業務など、人事の基本を学んだ。その次は新入社員の受入業務や従業員研修など、人材開発業務を担当した。何をしていいのか分からず悩んだこともあったが、そんな時は決まって声をかけてくれる人がいた。「自分からは最初なかなか言えなかったんですが、いろんな人が声をかけてくれて、アドバイスをくれたりして。いつも誰かが見ていてくれたんです」。それに職場のみんなは、足のことも理解してフォローしてくれた。重いものを持ったり、長時間立ったり、走ったりできないことを伝えて受け入れてもらえるかという心配は、すぐに安心へと変わっていった。
少しずつ携わる仕事も増えてきた。現在は、アプライアンス社における採用業務も彼女の担当だ。企業説明会で、高等専門学校、高校、大学、キャリア、障がいのある方など、さまざまな人の前で話すことが、今はたのしくてしょうがない。「会社の概要とか業務の説明とかを話す時、決まった文章もあるんですが、私はクイズや小ネタ、自分なりに考えた説明方法とか、自分の言葉でおもしろく話すようにしています。それで少しでも記憶に残って、パナソニックのことをもっと知ってくれたら、その学生が自分らしさを発揮できる企業探しの助けになるかもしれないので」。そして、自分だから分かるパナソニックのこともちゃんと伝えたいと思う。たとえ障がいがあっても活躍できる場所があり、自分らしさを活かせる場所があることを。人が好きで、人と触れ合うことで成長してきた自分にとって、人事はまさにぴったりの仕事だと今なら思う。「人事って普通なら話せないような、さまざまな人と接することができますし、採用や人材開発、組織の仕組みや環境づくり、キャリア形成などいろんな分野があるからこそ、学生や従業員の人生をサポートすることができる。そこがこの仕事のおもしろさですね」。
彼女がマイクの前に立つと、会場は水を打ったように静まりかえった。そして一斉に注がれた学生たちの目をゆっくりと見回しながら、彼女は心のなかで思う。「さあ、今日はどんなことを言って笑わせようかな」。
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*所属・内容等は取材当時のものです。