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私の仕事への向き合い方を変えた言葉。「素直な心」で向き合えば、誰かの心を動かせる。

こんにちは、パナソニック株式会社note編集部です。
今回は、パナソニック戦略人事部で働く市川(いちかわ)の、「#あの失敗があったから」をご紹介いたします。

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はじめまして、パナソニックの市川です。

パナソニックとnoteが主催する投稿コンテスト「#あの失敗があったから」が5月24日よりスタートしました。この機会に、パナソニックで働く私の「#あの失敗があったから」をお話しできればと思います。


“できない社員”を脱却した、先輩社員からのひとこと

現在の私の主な業務はふたつあります。ひとつめは未来を見据えてパナソニックの人事戦略を立案する仕事、ふたつめは新規事業の担当人事です。

ひとつめの人事戦略を立案する業務では、たとえば新型コロナウイルスの影響による働き方の変化のように外的要因もそうですが、「未来は変動的で不確実なもの」と認識して、どう人事戦略を立てていくのかを考えています。

まずは、未来を洞察して、それを起点に不測の事態にも対応でき得る人事戦略・戦術を、今から用意しておく。そういった「未来」をベースにした仕組みを人事にも組み込めないか、検討しています。

今の私は「未来の人事をどうするか」を考えていますが、長い間「人事」の仕事の魅力に気付けいなかったんです。

私の忘れられない失敗は、新卒で入社した会社でのこと。

2003年、入社する際には海外営業を志望したものの、配属されたのは人事部門。海外営業担当になった同期が当時は本当にうらやましくて、悔しくて。実習の帰り道に「こんな会社、絶対辞めてやる!」なんて、同じく配属希望が通らなかった同期と悪態をつきながら歩いていたことはいまだに忘れられませんね(笑)。

まだ大学を卒業したばかりの私には「人事の仕事とは何か」がわかりにくかったんです。「採用」や「研修」のイメージしかなかったので、「どうして自分が人事に?」という気持ちでいっぱいでした。

そんな考え方だったせいか、1年目の私はミスを連発。たとえば、新卒では到底責任をとれない大きな金額の予算計上を失念していて大問題になる寸前だった、なんてこともありました。その失敗は自分の中でも強烈に記憶していて、いまだに反省が残っています。

人事に配属された最初は中途採用の担当をしていたのですが、上手く業務をこなせず、半年で担当を変えられてしまう始末。失敗の具体例を出すとキリがありませんが、入社1年目当時、私はまさに「仕事ができない社員」でした。

新しいチームでは福利厚生の制度運用や社員研修を担当するようになりました。そのときに研究開発の最前線で活躍していた別部署の先輩社員から言われた言葉がとても印象に残っているんです。

新しい仕事を振られたときには、最初に「大丈夫です!」と言え。もし、「本当に大丈夫か?」と聞き返されたら「任せてください。余裕です」と返事してやればいい

先輩にこの言葉をもらうことで、これまでの自分は、過去の失敗から新たな失敗を恐れ、仕事を任せてもらっても「大丈夫です」と答えることができず、責任から逃げてしまっていたことに気づきました。

まずはこの姿勢を変えるために、私は一歩踏み込んで「余裕です!任せてください!」という態度で仕事に挑むことにしました。

もちろん、その分努力して、大変な時間を過ごしましたが、一つひとつ仕事をこなし、「大きな金額の予算計上を忘れてしまう、だめな新入社員」から、「仕事を任せられる社員」に、だんだんと成長できたんだと思います。

一人ひとりに向き合う中で学んだ、人事の本質

だけど「いつかは海外営業担当に」、その気持ちが自分の中から消えることは、しばらくありませんでした。

「人事の仕事」への向き合い方が変わったのは、入社8年目ごろ。

当時、社員の大規模な「異動」に関わる仕事を担当していました。社員は異動に応じると、働く条件も変更になります。その条件を整理して、大勢の対象者の前に立ってそれを説明することになったんです。対象者は私より先輩ばかりで、シニアな方もたくさん含まれていました。

「こんな重要な仕事を私がなぜ……」。疑問はありましたが、新しい仕事にはいつも通り「大丈夫です!」と答えて挑んでいたので、説明会には堂々と臨みました。

しかし結果は、「そんな条件じゃ納得いかない」「もっと理由を教えてほしい!」と総攻撃をもらう格好になってしまって。

異動の対象となる社員に、会社として期待することや処遇についてチームでしっかりと検討したうえで説明しましたが、問い合わせの電話は鳴り止みません。

それでも私は「これは私が対応します!」と責任を持って、一人ひとりに説明をし続けました。とはいえ、厳しい声をたくさん浴びた時期だったので、このときはつらかったですね。

ただ、異動の前日、そうやって向き合ってきた方のひとりが、私のところへやってきて「市川さんは大勢の人に無茶をたくさん言われていたけれど、一人ひとりに向き合って理由も丁寧にちゃんと説明してくれた。自分は納得して行こうと思えました」と言ってくれました。

それが私にとっては忘れられない出来事で。私の中にある何かのスイッチを押してもらったような気持ちになりました。

自分が一生懸命考え誠意を尽くして説明した結果、ほんの一部かもしれないけれど誰かの納得感につながった。それがその人にとって良い影響だったとすれば、会社にもまた良い影響を与えられる。

このとき初めて、自分の仕事が、人事の仕事が、誰かのスイッチになれると思えたんです。

そこから、「営業に行きたい」と言わなくなりました。「やめてやる」と思った新卒のときから12年間もその会社で人事を続けられたのは、そういう貴重な体験があったからですね。

失敗を乗り越えられる、創業者の言葉「素直な心」

そんな経験から、何かがうまくいかないとき、自分が何をやるべきか、できることは何かを考える重要性を学びました。もし説明会の後、異動の対象となる社員一人ひとりに誠意を持って対応していなければ、納得がいかないまま異動していた方はもっと多かったかもしれません。

その後、私は2017年に縁あってパナソニックに入社しました。創業者 松下幸之助の言葉で、「素直な心」が好きなんです。

素直な心で物事としっかり向き合ったとき、はたして自分は何ができるのか。何かが起こってしまったとしても、過去をとりつくろうよりも未来に向かってなすべきことをなす。私心にとらわれずに物事と向き合う姿勢さえ崩さなければ、その「素直な心」に向かって周りがサポートしてくれたり、理解してくれたりする。

世界は案外優しいものなんだと、創業者の言葉が私の大事にしてきた想いと重なりました。そういう心持ちでいれば、たとえ何かをしくじったとしても、それはやがて失敗ではなくなるんだと思います。

自分の失敗なんて、誰も覚えていない

私は新しいことを始めるとき、うまくいかない方が多いです。

パナソニックに入社後、大学生向けのキャリア支援プログラムを立ち上げたんです。パナソニックのブランディングや採用につなげるだけでなく、「働く」というマインドや「企業を選ぶ視点」を養ってもらえるプラットフォームで、とても意義のある取り組みでしたが、結果1年半で終了することになってしまいました。

だけど、これを「失敗」とは捉えていません。

極めて論理的な判断でそのプロジェクト自体はクローズしましたが、そこで得た経験は、次に取り組んだ別の施策検討において大いに役に立ちました。つまり、1年半でクローズしたプロジェクトの経験も、確実に自分の血肉になってるんですよね。

無駄になる経験ってほとんどないんだと思います。新しいチャレンジはすごく怖いことでもありますが、恐れる必要はありません。自分の失敗をずっと覚えているほど、周りの人は暇じゃないですから。

これまでの経験から、私は未来のために若い社員の可能性を拡げることに力を注いでいきたいと考えています。課題や悩みを解決するために、自分の頭で考えるのはもちろん大切です。

一方で、ヒントは世の中に無限に存在していることも知ってほしい。

「これには丸いネジが必要なんじゃないか?」と仮説を立てたけれど、「これにはそもそもネジいらないじゃん!」という大発見もあるかもしれない。

そのために私もインプットを惜しみませんし、自分の知っていることや考えていることが、仲間にとっての「ネジ」や発想の転換のきっかけになり得る場合もあるはずなんですよね。

私のスイッチを押してくれたあの人のように、私も誰かのスイッチを押してあげられる存在になりたいです。

<プロフィール>

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市川 純司(いちかわ じゅんじ)
北海道大学を卒業後、2017年パナソニックにキャリア入社。現在(21年5月)パナソニックの人事戦略を立案する業務と新規事業の担当人事を兼務。

◆パナソニック採用HP

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