知ることで人は変わる。今日よりもすこし良い明日をつくれる|#思い込みが変わったこと
こんにちは、ソウゾウノート編集部です。
3月25日(金)からnoteコンテスト「#思い込みが変わったこと」が開催されています。
みなさんには、思い込みががらっと変わった経験はありますか? きっかけは意外と何気ない日常の瞬間だったということもあれば、やっぱりとくべつな出来事だったという方もいらっしゃるかもしれません。
今回のnoteコンテスト「#思い込みが変わったこと」では、多様な価値観や生き方・考え方があることを、コンテストを通じてみなさんといっしょに共有しあったり、考えたりしたいと思います。
今回は、フェミニズムの視点でこれからの社会を考える学生団体「imI(イムアイ)」のメンバー、中汐里(なか・しおり)さんからの寄稿をご紹介いたします。「フェミニズム」という考えとの出会い、さらに仲間との出会いが大きな転換点となったようです。
「imI(イムアイ)」についてはこちら
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大人や社会への違和感
「結局人は変われない」。
よく聞く言葉ですし、私もそう思い込んできましたが、今の私はこの言葉を信じません。
なぜなら、私は本当にフェミニズムを知って変わった、と身を持って実感するからです。
今やフェミニズムは私の原動力で、フェミニズムによって変わった私じゃないと得られなかった視点が多くあるのです。
私は男女別学という、学校の中に女子校と男子校があるような特殊な中高一貫校に通っていました。人は「ある」と「ない」を認識して初めてその差に気づくということもあり、私は比較的早い段階から男女の差をよく感じていました。当初は、「まあそんなもんでしょう」と思って流していましたが、確実に私の中に大人や社会への不満として蓄積されていたのでしょう。
女子だけに行われる特別講座では美しい言葉について勉強し、茶道や華道を体験しました(この経験自体にはとても意義があったと感じています)。
男子が技術の授業でラジオをつくっているなか、私たち女子は家庭科の授業を受け、保育園実習も女子だけでした(人数なりいろいろと事務的な事情もあるのでしょうけど)。
文化祭実行委員の作業時間は男子のみ延長できるという制度があり、私たち女子は帰るしかありませんでした(翌年、意見書を出して改正しました)。こんな憤りや違和感が蓄積していましたが、私にとってこれはわがままのようなもので、周囲の人がこれに従順であるなら、そうする以外の選択肢はなかったし、ましてや社会全体の問題として拡大する概念もありませんでした。そんな時期に縁があって「フェミニズム」という言葉に出会ったのです。
あらゆる属性によって選択肢が狭められないフェミニズムとの出会い
フェミニズムについて知れば知るほど、私がこれまで蓄積してきた憤りや違和感は言語化され、消化されていきした。
まさに、「気にしすぎ」とか「そんな怒らないでよ」とやゆされるかもしれないと恐れていたことを、そのまま肯定してもらえた感覚でした。それと同時に、これは私の小さな世界の話ではなく、大きな社会全体の話なのだと気がつきました。
そこに自分のいる場所としての価値を見出し、どんどんフェミニズムに関する情報を集めるようになりました。そしていつしか、自分なりに「性別をはじめとするあらゆる属性によって選択肢が狭められない社会を目指す思想」と定義し、自分の中心軸となりました。
しかし、目をつぶりたくなる事実もたくさんあるのです。それは、自分の加害性を突きつけられるということ。
メイクをしていない先生に対して「常識ないな」と思っていた中学時代の自分。
特定のセクシュアリティの人をバカにする趣旨のテレビ番組をおもしろおかしく見ていた自分。
私の被害者意識を肯定するものとして親しみを感じたフェミニズムによって、私自身も無意識のうちに被害者を生んでいたのだと気づかされる痛みがありました。でも、だからこそ、私は変わることができました。
今誰一人として傷つけていないと断言するのはやはり難しいですが、私が一つひとつの言動を見直して行動したことによって、一人だとしても誰かが傷つくことを避けられたと思います。
自分だけの世界から、人と共有し広がる世界へ
そんなことを感じながら、フェミニストとしてのアイデンティティを強く持ちはじめたころに、のちにimIを一緒に立ち上げることになるコモモと出会いました。この出会いは私の人生を大きく変えたと思います。
それまで自分語りの領域から出ることがなかったフェミニズムは、人と共有し、議論するものになりました。フェミニズムという概念と他者のストーリーが掛け合わさることで、新しい視点がもたらされます。
それが、私たちが今不定期で開催しているイベントとなっていくのです。
とくに私の考え方において重要な転換点になったと感じるのが、「特権」をテーマにした回です。
特権については私の個人noteと重複するので簡潔にお話ししたいと思います。私は「フェミニズムの人」ということもあって、特権を語るときは「持ってない側」の視点に立ちます。
しかし、私は社会的に見たらおそらくかなり多くの特権を持っています。そもそも、imIという非営利活動に力を注げているのも、それをできる経済的余裕があるから、家庭や経済状況について何か課題を抱えたこともなく生きてこられました。
中学から大学まで、奨学金をもらうことなく東京の私立に通わせてもらっています。これは、まったくありふれたことではなく、さまざまな恩恵を享受していると実感します。
これに気がついたとき、私は「特権を持ってるのに弱者として声をあげていいものか」と葛藤しましたが、今はもう、この葛藤から解放されました。
imIのメンバーと話す中で、特権を持っている人間として自分は社会に対してどうありたいか考えること、それが重要であると気づかせてもらいました。持っているものをどう使うか。振りかざすのか、それとも人のために使うのか、それが重要なのだと。これは私にとって大きな気づきでした。
適職アンケートか何かで「人のためになりたい」なり、「社会のための仕事につきたい」なりの項目で、「まったく思わない」を塗りつぶしていた過去の自分には想像つかない姿でしょう。このように、フェミニズムはまさに私の原動力なのです。考え方が大きく変わる、大きな気づきを得る。
それらはフェミニズムによってもたらされたものです。
最近勉強する中で、意識を変えれば社会が変わるわけではないと気づいてしまいました。これも気づきたくなかった事実で、なぜなら私は人の意識に興味があり、それを変えることで社会が変わると思っていたからです。
もちろん、その側面もあると思いますが、制度の上に規範があり、そこから意識が生まれる側面の方が大きいです。
でも、やはり少なくとも私がフェミニズムを知って変わったように、知ることは人を変えることに間違いなくて、そしてそれにより少なくとも周囲の数人を無駄に傷つけることは避けられました。
この私の実体験を持って、堂々とフェミニズムをあらゆる人に伝える活動をしています。
20歳を目前とした今、私が社会に存在する意味として、「知ることで人は変わる。そして、今日よりも少し良い明日を作れる」、と信じて活動を続けたいと思います。