とことん音にこだわって、テレビで新たな体験価値を与えたい。
「超がつくテレビっ子でした。小学校から帰ったらテレビはつけっぱなし。毎日4時間、特にドラマが大好きで週7本は見ていました」。懐かしそうに子供の頃を振り返るのは、テレビのハード設計に携わる中西芳秀だ。「中学校に入ると、自分用にテレビを買ってもらったんです。嬉しくて嬉しくて。据え置きでしたが、脚をはずしたり、壁に細工したり、ドラマに出てくる壁かけテレビみたいにカスタマイズしちゃいました。壁に穴を開けたことはひどく怒られましたが...」。中西にとって仕事の原点ともいえるエピソードだ。
中学、高校でもテレビへの熱は冷めず、ゆくゆくはテレビをつくる仕事に関わりたいと考え始めていた中西。大学も工学部を選んだのは自然なことだった。基本となる電気回路の他に、電磁気や制御工学、生産システムなど、さまざまなジャンルを学んだが、想いはぶれなかった。就職活動でめざしたのは「テレビの電気設計」。第一志望は地元、大阪のパナソニックに絞った。通学でいつも目にしていた、あの看板。身の回りにあふれていた、あの家電。OB訪問で弾んだ会話。「もはや一択でした」。
入社後、中西はハード設計部に配属され、希望通り、一貫してテレビの音声システムの設計開発に携わっている。社会人として順調に歩み始めた中西だったが、わずか2年目にして試練が待っていた。急な仕様変更に対応できず、回路図に不備があり、生産ラインを止めてしまったのだ。「もう焦りに焦りました。すぐさま工場に駆けつけて謝り、現場の方々にも手伝っていただき、一つひとつ丁寧に改修しました」。幸い量産前の試作だったので最悪の事態は免れたが、周りのメンバーの貴重な時間を奪ってしまったことを悔やんだ。設計の責任の重さを身をもって知った中西は、これを教訓に人一倍の慎重さと、責任感を持つようになっていった。
現在、中西は音声設計にとどまらず、商品の開発責任をトータルに担っている。「今のテレビってパソコンみたいに複雑なので、ソフトがちゃんと動かないと意図通りの音が出せないし、筐体(きょうたい)含めての音づくりなので脚とかも重要。だから音づくりは、ソフト設計や機構設計のメンバーたちと綿密な対話が欠かせないんです」。もちろん工場にも調整や検査に出向くし、対外訴求も大事な仕事のひとつだ。「自分が設計した音ですから、世に出すまで見届ける。責任も、やりがいも大きいです」。
対外訴求では目や耳が肥えた映像系雑誌の評論家へデモを行う。製品のよさを最大限理解していただき、お客さまにしっかり伝わる記事を書いてもらえるよう、視聴コンテンツや見せ方聴かせ方にも工夫して勝負する。「テレビのメインは映像だと思っている方が多いですが、音声でも特別な体験価値を感じていただきたいんです」。デモは海外に出向いて行うこともあるが、海外仕様は音声システムの設計も異なる。欧州では低音が好まれるし、言語によるギャップもある。たとえばドイツ語は「スッスッ」の音が強く、独特なチューニングが必要となる。そんな国内外で直接いただいたコメントの一つひとつが収穫となり、新たな音づくりへつながってゆく。
そもそも薄型テレビは筐体へのスペース的制約が大きく、音が弱点とされ、増設スピーカーで補って視聴するユーザーもいた。しかし中西たちはテレビ単体での音づくりにこだわった。従来のスピーカーに加え、テレビではじめて「イネーブルドスピーカー」を搭載したのだ。これはテレビ背面上部に上向きにスピーカーを配置し、音を天井に反射させることで臨場感あふれる立体音響を生み出すもの。違和感なく真正面から聞こえるよう幾度も調整を重ねた上下の音のバランス。かつてないエネルギーを注ぎ込んだという。「映像に負けない、音の体験価値を提供できたと思います」。このモデルは話題となり、辛口の評論家からも高い評価を受け、雑誌社のアワードで最高賞を獲得した。
もはやテレビは地上波だけでなく、動画配信やSNS、音声通話なども楽しむための視聴デバイス。でもコンテンツが多様化しても、テレビはエンターテインメントを体験できる最も身近なインターフェイスに違いない。「音声でも、映像でも、手軽さでも、もっともっとテレビを進化せていきたい」。テレビの定義が変わろうとしているなか、中西のテレビに対する想いはますます熱くなっている。
<プロフィール>
*記事の内容は取材当時(2021年10月)のものです。