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「『忘れないでほしい』」| 一般社団法人ことば理事 大浦佐和

初めまして。一般社団法人ことば理事の大浦佐和です。
私の東日本大震災に関する想いを、お話しさせていただきます。

震災が起きた当時は中学2年生の終わりで、数学の授業中でした。咄嗟にクラスみんなが机の下に入ったのを覚えています。
隣の席の生徒が大きな揺れに怯えて泣き出してしまったり、そのまま親に迎えを呼んで帰ることになったりと、いつもとは違う緊急対応の様子に、
「これは今までやってきた『訓練』とは違う、現実なんだ」
とぼんやり考えながら帰りました。

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当時、東京に住んでいた自分に、そんな非日常を味わったくらいで、大きな被害はもちろんありませんでした。それでも少しは、

「うちは高台だけど、どこかに避難することになるのかな?」
「こんな路地裏の自動販売機の水も売り切れるなんて、物流はどうなるのかな。」
「枝野さんは原発は大丈夫と言っていたけど、本当かな?」

と、中学生ながらに色々なことを想像しながら過ごしました。

その後、転機が訪れたのは高校1年生の時。
当時の教頭先生が宮城県の女川出身で、その年の月命日に、震災でご実家が流された経験を話してくださったのです。実際に写真を見せながら当時の様子やご家族のことをお話しし、最後にその先生が伝えてくれた言葉は、私の今の活動に繋がる原体験となりました。

『皆さんはまだ若くて何かをするということが難しいかもしれないけれど、こういう出来事があったのだ、ということをどうか忘れないでほしい』

この『忘れないでほしい』という言葉がきっかけとなり、なぜか本当にその言葉が忘れられなかった私は、大学1年生で「僕らの夏休みProject」というボランティア活動に参画し、岩手県でたくさんの子どもたちと出会い、紆余曲折の末、この活動を運営する一般社団法人ことばで理事として社会人生活を送ることとなりました。

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10年という時間は、私のこれまでの人生の、約半分を占めます。
笑顔をなくしているかもしれない子どもたちに、とびきり楽しい思い出を渡したいという先輩たちのガムシャラな想いを引き継ぎながらも、新たな時代へと踏み出す全ての子ども・若者を支えていきたいという次のミッションにも導かれ、日々自分と、仲間と対話しながら事業を動かし続けてきました。

ただ、僕らの夏休みProjectで岩手県の子どもたちと関わるようになってから6年が経ちましたが、正直、震災というものに対する捉え方、向き合い方は、本当に難しいなと年々感じます。

それは相手が自然というコントロールできないものだからかもしれないし、こうして震災が、多くの人の人生を変えているからかもしれない。

東日本大震災とは、
人間の無力さを感じ、自分の無力さを感じ、絶望させるものであった一方で、
誰もが弱さを持っていること、手を取り合って生きていくことの大事さを感じ、人と人との心を繋げた大きなきっかけでもあったのではないか。
心を痛め、身体を痛めて生き延びた人々がたくさんいる中でこのことを認めるのはつらいことですが、東日本大震災によって自分の人生に意義や役割を見出した人、そして大切に思える誰かと出会えた人がたくさんいることは、皮肉にも、事実だと思います。

6年間の活動や、出会った人々との関わりから私が今思うことは、
「震災からの卒業」
が必要な人、団体、企業、地域が、実はたくさんいる/あるのではないかということ。

外観だけでなく、人々の心の復興を目指していく。
なかったことにするのではなく、自分自身が何をそこから学び、生かしていくのかを明確にする。
目先の財源や補助にとらわれず、地域にとって本当に価値があるモノ・コトを追求する。
震災という文脈があろうとなかろうとそこに存在するはずの「地域の本当の強み」を見出す。

そして、教頭先生が伝えてくれた『忘れないでほしい』という言葉を心に留め、次のアクションを起こしていく。

これからの10年に求められるのは、そんな姿勢なのかもしれない。
だとしたらまず自分が、自分たちが、それを体現していきたい。と強く思うのです。

僕らの夏休みProjectで子どもたちと交流した時も、パナソニックさんからお声がけいただいた「ツナグ・ミライプロジェクト」で福島県の子どもたちと出会った時も、何人もの子どもたちが堂々と夢を語ってくれていました。東日本大震災という壮絶な経験があっても、誰しも心の中には「生きる力」が備わっているのだと感じました。

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私たち若者がそんな「生きる力」を持った彼ら・彼女らにできることがあるとすれば、それは前を向いて今の自分を愛し、心が動くほうへ人生の舵を取り、まずは自分が幸せに生きること、くらいかもしれない。
そしてその生き生きとした姿を、子どもたちが見てくれて、ああいう風に生きてみようと思ってくれるなら、こんなに嬉しいことはないと思います。

#それぞれの10年、100人いれば100通りの時間が過ぎました。
でも、意味のなかったことはひとつもないと信じたい。

僕らの夏休みProjectも、ことばも、そして私自身も、これから先ずっと東日本大震災を忘れることはありません。

そこに子どもたちがいたこと、失われた命があったこと、出会う前の風景があったことを心に留めながらも、同時に、甘えを捨てて未来に力強く踏み出していく「震災からの卒業」を体現していきたいと思います。

最後に、10年前のこの日に亡くなられた命を追悼し、ご冥福をお祈りいたします。

3月中は引き続き、関係者から寄せられた「#それぞれの10年」を綴った記事をご紹介させていただきます。