「モノ」より「コト」。くらし心地の良さまで提案したい。
「『大分の二度泣き』という言葉、ご存じですか。これは大分への勤務を命じられた人が『あんな辺鄙なところに行きたくない』と泣き、そしていざ大分を離れる辞令をもらって『こんな素晴らしいところ離れたくない』と再び泣くことなんです」。そう切り出したのは、ハウジングシステム事業部 大分住建営業所に所属する営業の杉本真太郎だ。生まれも育ちも京都だが、初任地は大分。「少し戸惑いましたが、勤務地は選ばないと伝えていましたし、いろいろな土地での生活もたのしみと思って営業職に就いたんです。風光明媚な自然、温泉、海の幸、山の幸、人情味あふれる人たち。本当に大分はくらしやすく、良いところなんです」。
杉本の仕事は住宅設備を提案、販売して、お客さまのより良いくらしに貢献することだ。「住宅設備」と聞いてもピンとこないかもしれないが、「システムキッチンやバスルーム、トイレなど、家にある家電以外のものすべてと言えば分かりやすいでしょうか」と教えてくれた。基本的には代理店への営業になるが、展示会や営業所に併設されたショウルームでは直接、施主であるお客さまと会話する機会もある。「パナソニックファンの方もいらっしゃれば、そうでない方も。だからこそ学ぶ点がたくさんあります」。たとえば「ものはいいけど、高いね」なんて辛辣な話も出る。そんな時はお客さま視点に立って、メリットを丁寧にお伝えする。お客さまがいらっしゃるのは、住まいをより良くしたいから。それを話しながら解決に導いていく。「お客さまが納得してくださって笑顔になった時、やりがいを実感します。人とコミュニケーションをとることが大好きなんです」。
営業に欠かせないマナーやコミュニケーションのスキルを、杉本は「サッカー」で身に付けたという。小学校3年生から大学を卒業するまでサッカー中心の生活。幼い頃から「あいさつをする」「約束を守る」「時間を守る」という集団生活の基本をたたき込まれた。高校は京都では有名な強豪校で、チーム内のルールも厳しかった。大学では体育会サッカー部で副キャプテン。140名以上いるメンバー全員に目を向け声をかけ、課題や意見を吸い上げ、チームをまとめる役割を任されていた。意見を押し付けるだけではまとまらない。時に一人ひとりに寄り添い、時に厳しく、言葉の駆け引きをしながらチームをつくっていった。「チームスポーツで培った経験は、会社というチームのなかでも活きるんです」。
杉本が就職活動でパナソニックをめざしたのも「サッカー」に関係がある。採用担当に大学OBがいたのだ。セミナーを受け、OB以外にも多くの社員と面談を重ねたが、他社にはないワクワクがあったという。特に波長があったのは「営業」職。仕事のやりがいや、職場の明るい雰囲気...話すほどに、漠然とやってみたいとだけ思っていた「営業」が魅力的に感じた。もし配属された分野が合わなかったとしても、事業領域が広いパナソニックなら変える選択肢もあると思った。
入社して杉本は研修が半年もあることに驚いた。友人の話を聞いても、他社では長くても3カ月。社会人としてのマナーや商品についての勉強を中心に、会社の歴史、創業者の経営理念をとことん学んだ。各地へ配属になる前に、数100人の同期としっかりつながることができた半年間。長いと思っていたが、あっという間だった。杉本は嬉しそうに語る。「全国に仲間がいるって、すごい財産だと思いませんか」。
研修が終わり、杉本は大分へ。営業として配属され、すぐに担当を持たせてもらった。「とにかくお客さまのところへ行く」「自分で考えて動く」自主性を尊重してくれる、やりがいのある仕事スタイル。周りのサポートも心強く、たくさんチャレンジをさせてもらった。特に発売されたばかりの「次亜塩素酸 空間除菌脱臭機 ジアイーノ」の販売営業に取り組むきっかけを上司が与えてくれた。新しい商品は先輩・後輩関係なく平等なスタートライン。「ジアイーノ・マスター」と呼ばれるほど商品知識を身に付け、全国でいちばん売ってやるという強い気持ちで販売に取り組んだ。結果は全国2位。営業マンとしての第一歩は、嬉しくも悔しくもある結果だった。
「売りたい」という気持ちだけでは商品は売れない。「モノ売り」ではなく「コト売り」をすべきだと学んだ。性能の優位性だけでなく、そこから生まれる心地の良いくらしまで提案する。「やるからには『住宅設備の一流の営業』として認められるまでやり抜きたいです」。杉本は大分の地で営業にかける覚悟を、そう口にする。そして、いつか次のステップに進むために大分を離れる時は、思いっきり泣きたいと言う。
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*所属・内容等は取材当時のものです。