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【同級生対談】ガンバ大阪 東口順昭選手×元バレーボール日本代表 福澤達哉

ガンバ大阪で活躍する、ゴールキーパー 東口 順昭選手。実は元バレーボール日本代表で、現在パナソニック オペレーショナルエクセレンス(株)で広報を担当する福澤 達哉とは、同じ高校の同級生(!)という間柄。当時あまり接点はなかったものの、それぞれがお互いの活躍する姿に注目し、リスペクトしてきたという二人。今回、知られざる学生時代の秘話や、一流アスリートへステップアップしてきた経緯、長く第一線で活躍する中で大切にしてきたことなどを、約20年の時を経て語り合いました。


東口 順昭(ひがしぐち・まさあき)
1986年5月12日生まれ。大阪府高槻市出身。
ガンバ大阪 背番号1 GK(ゴールキーパー)
洛南高校から福井工業大、新潟経営大を経て2009年にアルビレックス新潟に加入。2014年にガンバ大阪に移籍すると加入1年目から正GKの座を掴み、同年には国内3冠を達成。翌2015年には天皇杯連覇に貢献。2018 FIFAワールドカップ日本代表メンバー。チーム最年長選手として最後尾からチームを支えるガンバ大阪の守護神。

福澤 達哉(ふくざわ・たつや)
1986年7月1日生まれ。京都府京都市出身。
パナソニック オペレーショナルエクセレンス株式会社
コーポレート広報センター
元バレーボール日本代表。2008年には北京オリンピックに出場。2009年にパナソニック パンサーズに入団し、国内タイトル3冠を3度達成するなどチームの優勝に貢献。2015-2016年にブラジル、2019-2021年にフランスリーグでプレーするなど海外でも活躍した。2021年8月、現役引退。

――洛南高校の同級生ということですが、当時から面識はあったのでしょうか?

東口: 同じ高校とはいえ、僕はスポーツクラスでしたから。福澤を含め、頭のいい、優秀な生徒が集う他のクラスの生徒とはほとんど面識はなかったです(笑)。入学した時はサッカー部も、バレーボール部も京都府内でベスト4に入ればいいね……ってレベルだったのに、あれよあれよとバレー部が強くなって、挙句、全国優勝までして、完全に置いていかれた感もありましたしね。あれ、何年の時だった?

福澤: 2年生の時に初めて全国大会に出場し、3年生の最後の大会となったインターハイで全国優勝できた。

東口: 綺麗なステップアップやな! しかも福澤はバレーがうまい、頭がいい、格好いい、の三拍子が揃っていて異彩を放っていたから全く近づけなかった。

福澤: 同級生やのにそんなことある?!

東口: あった(笑)。しかも卒業後も例えば、福澤が大学時代に日本代表に選ばれたとか、史上最年少で北京オリンピックに出場したといった情報はメディアを通して知っていて「すごいな〜」って思っていたけど、会う機会が全くなく……気づいたら高校卒業して20年近くも経ってた(笑)。

――洛南高校での3年間はどんな時間でしたか?

福澤: メニューや戦術を含め、割と自由度を与えられながら仲間と共に「自分たちで考えてやるバレー」をできたこと、監督がそれを容認してくれたのはすごく大きかったです。3年生時は僕が練習メニューを考えることが多かったので、高校選抜に選ばれた時にいい練習だなと思ったことを採り入れたり、パナソニック パンサーズにいる洛南のOBの方に電話して「ブロックを鍛えたいんですけどいい練習はないですか?」と話を聞いたり。そういうアクションを常に起こしながら、考えてバレーに取り組み、それが結果につながるという成功体験を得られたことは、のちに現役生活を長く続ける上でのベースにもなりました。

東口: 中学時代はガンバ大阪ジュニアユースチームに所属していて、同期に家長昭博(川崎フロンターレ)や本田圭佑(スードゥヴァ・マリヤンポレ)らがいて、チーム自体は強かったけど、正直、僕はそのレベルに達していなかったというか。GKなのに身長も160センチ台と体も小さく、ただサッカーをしているだけ、という感じでした。結果、ユースチームに昇格できずに洛南高校に進学したのですが、ジュニアユース時代のようにGKコーチがいるような恵まれた環境ではなかったですからね。その分、自分で必要なことを感じてトレーニングを工夫したり、先輩のプレーを見てどういうプレーが効果的かを考えることがすごく多くなったんです。ガンバのように「自分が少々ミスをしても、フィールドがなんとかしてくれる」というチームではなかったからこそ、「自分さえゴールを許さなければ負けない」という自覚も芽生え、それがプレーの変化にもつながっていきました。また、メンタリティの部分でたくましくなったことも、後のキャリアの道筋になっていったのかなとは思います。

――その後、大学進学を経て卒業後は、東口選手はアルビレックス新潟に、福澤さんはパナソニック パンサーズに加入されました。どんな基準でチームを選んだのでしょうか。

福澤: 僕は学生時代から常にバレーも頑張るけど、他の可能性も探りたいと思いながらキャリアを選択してきたのですが、それはパナソニック パンサーズを選んだ時も同じでした。大学時代に日本代表に選ばれて初めて世界を体感し、衝撃を受けたことで、バレーを主軸に考えるようにはなっていたものの、常にバレー以外への興味のアンテナは張っていたし、将来は引退して仕事をすることもイメージしていました。ありがたいことに、当時のVリーグのほとんどのチームに声をかけていただきましたが、パナソニックを選んだのは、祖父母が昔からナショナルブランドが大好きで、パナソニックの「家電」が常に身近にあり、そこで働く自分を描きやすかったことが決め手でした。ただ、その根底には学生時代もそうだったように、どれだけ整った環境でプレーできたとしても自分がこれをしたい、こうなりたいというものがなければ絶対に成功しないという考えはありました。

東口: 僕は大学3年生の時にいろんな方のおかげで新潟という土地にたどり着いたことでプロの道が拓けましたから。オファーはガンバ大阪、ヴィッセル神戸からも頂いて、練習参加の度に「ここにしよう」って思うくらい魅力的でしたが、最終的には新潟に恩返しをしたいという思いが決め手になりました。心の奥底では、そこでしっかり試合に出てアピールすることでキャリアアップしていければいいなという思いもありました。ただ最初は自分に自信が全く持てなかったです。大学時代からアルビレックスでも練習をさせてもらい、特別指定選手にもしてもらいましたが、すぐに試合に出られるレベルではないという自覚もありました。だからこそプロになったばかりの頃はとにかく「今のままでは通用しない」「早くこのスピードに慣れないと」と必死でした。

福澤: 僕らは企業スポーツで、仮にバレーで結果を残せなくてもすぐにはクビにならないという守られた環境でプレーできたけど、プロは結果を残せなければ翌シーズン、プレーできない可能性だってある。そういう怖さはなかった?

東口: 意外となかったね。安易な考えやけど、当時、自分がプレーしていたステージがJ1リーグだったことで、仮にそこで通用しなくてもJ2リーグという道があると思っていたから(笑)。それに、僕の場合、学生時代から決してエリートな道を歩んできたわけではなかったから。大学卒業後はJFLとか社会人チームに行けたらラッキーくらいにしか思っていなかったし「サッカーで就職できないならやれる仕事は何でもしよう」と腹をくくっていた中でプロになれたから、最悪、プロで通用しなければその時は、自分にできる仕事を選べばいいと思っていた。

福澤: どのタイミングで、自分はプロの世界でも通用すると思えた?

東口: 2年目で、試合にもコンスタントに出させてもらえるようになって「ああ、いけるかも」っていう感覚にはなったかな。結果的に、その年も途中、左眼窩底骨折と鼻骨骨折で一時期は戦列を離れたけど「しっかり治せばまたピッチに戻れる」と思えていたし。それは3年目、4年目と大きなケガが続いて長期離脱になった時も揺らがなかったね。

福澤: プロとして生きていくための武器はあった?

東口: 自分では正直、これというものがないと思っていたのに、試合に出始めてからいろんな人にセービングや、倒れてから立ち上がるまでの速さ、飛び出しの速さ、といった「速さ」を評価されるようになって。それによって「速さ」は自分の武器かもしれないな、と思うようになった。福澤は?

福澤: 僕も学生時代から決して器用なタイプではなく、バレーも下手くそだったし、レシーブなんかは特にセンスがなかったけど、ジャンプだけには自信があった。18歳で初めて日本代表に呼ばれた時も、ジャンプで常に一番になれば「もしかしたら鍛えたら伸びるかも」って可能性を感じてもらえるんじゃないか、と思っていたし。そういう意味では、ジャンプは自分が選手としてステップアップしていくための入口になったと思う。

東口: 武器と思えるものを備えることが心のよりどころになったり、自信を備えさせてくれることもあるよね。

福澤: 間違いない。トップレベルの選手に近づくために、苦手な分野を補おうとするとすごく時間がかかるし、もともとそれを武器にしている選手にはいつまでたっても追いつかない。だからこそ僕もまずは自分の武器、長所を伸ばせるだけ伸ばす方が、早く評価を得られるんじゃないかと思ってた。

――その後、東口選手は2014年にガンバ大阪に移籍されました。それぞれの所属クラブでタイトルを獲得できた経験は、成長を後押しするものでしたか?

東口: 個人的には優勝を経験したからといって、やるべきことが変わるわけではないので。タイトルという特別な喜びをまた味わいたいという一心で次に向かうだけ、という感じでしたけど、タイトルを機に、日本代表に呼ばれるようになったりと、周りからの見る目や評価はガラッと変わった気がします。

福澤: 優勝の瞬間って何事にも変え難い特別な感情が生まれるので、それをもう一回味わいたい一心で、というのはすごくよくわかります。プラス、優勝を知っている選手が多いほど、チームが傾きかけた時に強いというか。あの時の感情を描けることで、ここを踏ん張れば、という一押しにもなる。だからこそ自分が現役でいる間は、優勝を経験していないメンバーにそのスイッチの入れ方みたいなものを伝えることができればと常に思っていました。

――福澤さんは昨年8月に引退を発表され、東口選手は今もチームの主軸として活躍されています。ここまでのキャリアは理想通りのものでしたか?

福澤: 正直、18歳から日の丸をつけて世界を相手に戦わせてもらい、引退する最後までその一員として戦えたのは良かったと思えることでした。ただ、一方で、日の丸を背負う時間が長くなるほど、こういう選手にならなければいけない、日本が勝つためにはこうしなければいけないという思い込みが強くなっていた部分があったんです。でも30歳でリオデジャネイロオリンピック出場への道が閉ざされて吹っ切れたというか。そこからはアスリートとしてどう終わるかとか、引退の文字もちらつき始めた中で、悔いだけは残さないように、シンプルに自分のやりたいことをやろうと。この選手のこういうプレーをしてみたいな、とか、海外でプレーしてみたいな、という気持ちを優先し、それを実行に移せました。そう考えると、引退までのラスト5年はアスリートとして勝負できたと思える濃い時間を過ごせたし、そんなふうにキャリアを終われたのはすごく良かったと思っています。

東口: 僕も30歳を過ぎた頃から自分のキャリアを考えることが増えたから、言っていることはすごくよく分かる。特に近年は、自分より年上の選手がどんどんいなくなって、自分がベテランであることを突きつけられることも増えたしね。でも、そこに囚われすぎるのは良くないし、自分らしさからも遠のく気がする。だから今は、あまりそういうことを考えずに自分がやるべきことをしっかりやって、それを若い選手が見て、感じ取ってくれたらいいなって思ってる。そのことを教えてくれたのがヤットさん(遠藤 保仁選手/ジュビロ磐田)で……多くを語らずともプレーや姿勢でいろんなことを感じさせてくれたし、この人についていけば大丈夫という安心感を背中で見せてくれていた。僕もそんな存在になれたらいいなって思う。

福澤: 新潟に加入する時に描いたステップアップの移籍も実現させて、数々のタイトルも手にしたし、日本代表として2018年のロシアワールドカップにも出場したと考えても素晴らしいキャリアよね! 自分ではどうなの?

東口: 正直、学生の頃に思い描いていた以上のキャリアになっていると思う。もちろん、ワールドカップメンバーには選ばれたけど、試合に出たかったよな、とか、欲を言えばキリがないよ。でも全ては自分が常に100%でやってきた結果だし、どこにも悔いを残さずに進んでこれたのは良かった。

福澤: 東口はキャリアを通して大きな怪我に苦しんだ時期も多かったと思うけど、そういう時に自分を支えたものって何だった?

東口: すごくシンプルに、ゴールキーパーというポジションが楽しい、サッカーが好き、またサッカーをしたいって思いと、サポーターの皆さんとか応援してくれる人の前でプレーしたい、ゴールを守りたいっていうことだけだと思う。それはプロになってからずっと変わっていないし、常に自分の原動力にもなってきた。

2014年、J1リーグ優勝時の写真。この年に、ガンバ大阪はJ1リーグ、ヤマザキナビスコカップ(現:YBCルヴァンカップ)、天皇杯の「3冠」を達成。
2018–19 V.LEAGUE DIVISION1 MEN優勝時の写真。
パナソニック パンサーズはクラブ史上初のリーグ連覇を達成。

――東口選手は現在、36歳。今後のキャリアを考えることはありますか?

東口: 40歳までは現役を続けたいとか漠然と描くものはあるけど、結局それもチームから求められなければ叶わないですから。今はとにかく目の前のことを精一杯でやり続けるとか、ベテランとしてチームをいかに1つにして勝たせられるかに気持ちを注いでいますし、その結果、長く現役をできたらいいなとは思います。

福澤: まだまだやれるでしょ。

東口: そうなればいいけどね。逆に福澤はどんな考えで引退を決めたの? 大きなケガもそんなにしなかったし、もっとやれたんじゃないの?

福澤: 基本的に、オリンピックごとに4年周期で自分のキャリアを考えてきたからこそ、東京オリンピックのメンバーから外れてその目標が1つなくなったことが自分の中では大きかったというか。当然、バレーは好きだし、プレーヤーとしてはもう少しやれたかもしれないけど、オリンピックという目標を上回るほどの目標を今後、作れるかなって考えたときにそれが見えてこなかった。となった時に、元々パナソニックに入社した時から、将来はここで仕事をすることも視野に入れていたからさ。ビジネスの世界の35歳なら、ここからまた新しい目標を見つけられるかも知れないと考えた。逆の想像で、そのまま40歳くらいまで現役を続けて、指導者や監督になるとか、バレー関係の仕事に就くという道も考えたけど、最終的にはバレーを離れてからの自分が何者になれるのか、という興味が上回った。

東口: 引退して約1年だけどビジネスの世界は楽しい?

福澤: どうかなぁ。よくそんな質問を受けるけど、まだ分からないというのが正直な気持ち。元アスリートって、仕事に対しても現役時代のようにすぐに結果を求めてしまうから、見えないジレンマに苦しむことも多いけど、そんな簡単じゃないというか。バレーも始めてから熱中するまで時間が必要だったのと同じで、仕事も熱中できるようになるまでには時間がかかると思う。でも、スイッチが入るきっかけってどこにあるのかわからないから。今はまだ自分のバックグラウンドとか、経験を基にいろんな仕事をさせてもらいながら、自分でやりがいを見つける、作っていくフェーズだと思ってる。

東口: 福澤のことやから、きっと自分が活きる道、活かされる場所をしっかり見つけて、気づいたらめちゃめちゃ出世してるはず!

福澤: 頑張ります(笑)。東口の今後の目標も聞かせてよ。

東口: 今はとにかく目の前の試合を全力で戦って勝ちにつなげることしか頭にない。近年はタイトルから遠ざかっているシーズンが続いていて、ましてや今シーズンは残留争いに巻き込まれている状況やけど、ここから挽回していくためにもとにかく1つ1つ勝利を重ねていくしかない。そういう積み重ねが、将来的にガンバが「タイトル」の歴史を取り戻すことにつながっていけばいいなって思う。

福澤: 同級生兼ファンとして、これからも応援しています! にしても、現役時代に聞いておきたかったなって思う話も多くて……なんでもっと早くに連絡を取らなかったんやって後悔したわ(笑)。

東口: 間違いない! でも、今回こうしてゆっくり話せてうれしかったし、異種目ながら同じアスリートとして学ぶところも多くて刺激になったよ。高校時代と変わらずしっかりしていて、未だ同じ歳とは思われへんけど(笑)。お互い、これからも頑張ろう。

(フリーライター/高村 美砂)



■ガンバ大阪 試合情報
ドイツ ブンデスリーガの古豪で、2021-22 UEFAヨーロッパリーグ王者 アイントラハト・フランクフルトとガンバ大阪の対戦が決定!

・ブンデスリーガジャパンツアー2022 powered by スカパーJSAT

11/19(土)14:00 キックオフ
ガンバ大阪 vs アイントラハト・フランクフルト
会場:パナソニックスタジアム吹田 
詳しくはこちら https://soccer.skyperfectv.co.jp/bundes/japantour

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