仲間とワイワイやりながら、モノづくりの現場を進化させたい。
将来の夢はプロ野球選手。小学校の卒業アルバムにそう書いた。でも、自分よりうまい人を知るたびにいつの間にか忘れてしまった。そして気付くと、自分が何になりたいのかよく分からなくなっていた。とりあえず大学は、将来の選択肢が広そうな機械工学科を選んだ。金属加工の研究をしていたため、開発者の道も考えた。突然思い立って、アナウンサーの学校に行ってみたりもした。しかし何か違うように感じた。自分自身について何度も考えた。そして、そろそろ進路を決めないといけない時期になった頃、ふと思い出したのが高校時代の野球部での自分だった。
彼はピッチャーだった。しかし登板のない日やマウンドから降りた後は、伝令が仕事だった。「伝令が出てくるのなんて、チームがピンチの時。仲間たちが『どうしよう』って顔でマウンドに集まっているところに、監督からの指示を伝えに行くのですが、僕はまずみんなを笑わせることに全力を尽くしていました。くだらないことを言って、全員が笑顔になったら仕事完了。監督からの指示をさっと言って帰るんです」。
そうだ。あんな風に、みんなでワイワイやれることが、自分には合っている。そういう仕事ってないだろうか。思い浮かんだのが、生産技術の仕事だった。いろんな人たちと力を合わせて、ひとつのものをつくり上げる仕事。考えれば考えるほど、しっくりきた。
生産技術の仕事がある会社。就職活動では、それを軸に会社を探した。「自動車や電機メーカー、いろんなモノづくりの会社を回りました。その時たまたまパナソニックの人と話す機会があって。仕事のことはもちろん、松下幸之助さんのおっしゃっていた言葉とかを教えてもらったりしたんです。会社の文化だったり、大切にしていることがすごく伝わってきて、それがなんか格好よくて。こんな人がいる会社に行ってみたいなって思ったんです」。
入社すると、配線器具や防災システムを扱う部署の生産技術に配属された。「はじめはコンセントなどに使われる金属部品を、大量生産するための金型をつくるのが仕事でした」。その設計は、コンピュータ上でCADを使って行うが、金属加工の知識やその他の知見や細かなノウハウも必要になる。分からないことばかりで四苦八苦の日々。先輩に教えてもらいながら、どうにか一通りのことができるようになった4年目。新たな武器として身に付けたシミュレーションの技術を活かして、金属部品の開発を取り組み始めた。
シミュレーションというのは、たとえばコンセントにプラグが差し込まれた時、なかの金属部品が実際どういう動きをするのかをコンピュータ上で再現する技術。金属部品の必要のない部分が容易に分かるので、より効率のいい部品づくりに貢献できる。
「この技術を使って、材料の使用量を可能な限り抑えながら、求められる性能を担保できる新たな部品の形状を考えていくのですが、製品にするにはたくさんの人と話す必要があります。製品が本当に満たさなければならない性能については、設計開発の人と話をしないといけないですし、実際に製品をつくる人や品質管理の人たちの意見も欠かせません。社内のモノづくりに関わる、いろんな部署の人とワイワイ話をしながら進めていくんですが、入社前に思い描いていた通りのこと、今やっているなって思いますね」。
5年目には、さらにプロセスモニタリングを活用した現場ソリューション開発に携わるようになった。これは金属加工における荷重などを細かくセンシングし、その変化を把握することで不良の削減や作業の削減につなげていく仕事。そして同時に、もうひとつの挑戦にも取り組み始めている。「今、モノづくりの現場では機械化が進んでいますが、人の手による作業を必要とするところもたくさんあります。しかし、こうした作業に携わる人たちの高齢化が進み、今後どんどん減少していくと予想されています。現場の人だけが持つノウハウ、それが廃れてしまうと今のクオリティでものがつくれなくなってしまうかもしれない。それはモノづくりの会社として、大きな課題です。
プロセスモニタリング技術は今まで熟練作業員たちが、長年の勘でやっているようなことも見える化する技術です。これを活かして長年培ってきた技能やノウハウを共有できるものにし、次の世代へ伝承していくことが僕の夢なんです。だって10年先、20 年先のモノづくりの現場が、みんなでワイワイできていないと、やっぱりつまらないですから」。
<プロフィール>
*記事の内容は取材当時(2021年10月)のものです。