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「ひとりでできる」って、本当によいこと? 大学生の皆さんと考えてみた、ちょうどいい「頼る/頼られる」の関係

「先週の課題を見せてもらいたいけど、お願いしたら嫌がられるかな……?」
「『帰り道、ちょっと遠回りになっちゃうけど、あのスーパーで牛乳を買ってきて』って、これLINEしても大丈夫かな?」
「苦手な虫が出たから、近くに住んでる友達に助けを求めたいけど、もう夜だしな……」
 
こんな経験、身に覚えはありませんか?
 
私たちのくらしは、「頼る/頼られる」に満ちています。学校でも会社でも、できないことや苦手なことは誰かに頼るし、自分にできることで誰かに頼られることも多々あります。

でも、よくよく考えてみると「頼る/頼られる」って、けっこう難しくないですか?
 
「こんなことで頼ったら嫌がられるだろうか?」と感じて本当は誰かに頼りたいのに頼れなかったり、「ちょっと面倒だなあ」と思って誰かからの依頼を受けることをためらったり。
 
誰かに頼り、頼られなければ生きていけない私たちではありますが、そもそも「頼る/頼られる」のバランスを取るのが難しい……。もし、その最適なバランスを知ることができれば、私たちのくらしはもっと豊かになるのではないでしょうか。
 
そんな思いから、私たちq&d編集部は大学生の皆さんと「頼る/頼られる」について考えるためのワークショップを開催しました。本記事では、そこでどんなことが語られたのかをレポートしていきます。
 
「正しい」頼り方、頼られ方ってあると思いますか?
あるとすれば、それはどのようなものだと思いますか?

 
ワークショップの参加者になったつもりで、一緒に考えていただければうれしいです。


「許せる/許せない」の境界線を、桃太郎になりきって探ろう!

あなたは「どんな『頼られ』なら許せますか、あるいは許せませんか?」と質問されて、パッと答えられますか? 正直、なかなか難しいですよね。
 
なのでまずは、その境界線を探るべく、有名な童話を使ってこんなお題を考えてみました。

あなたは桃太郎です。鬼退治に向けて結束を固めるべく、いぬ、きじ、さるとルームシェアをし、日々の生活を共にしています。

そんな中、ある1匹の行動をきっかけに、あなたの堪忍袋の緒が切れる事件が発生します。さて、それは誰のどんな行為?

さて、あなたはどんなシーンを思い浮かべましたか?
 
ワークショップでの一例を出すと、とある参加者は「さるが何度も鍵をなくして、酔っ払った状態で夜遅くに『開けてくれ』とインターホンを鳴らしてくる」と答えました。

参加者が実際に書いてくれたワークシート

きっと桃太郎だって、仏のように悟っているわけではありません。時にはブチギレることもありますよね。皆さんが桃太郎なら、この「頼られ」は許せますか? それとも、正直厳しいですか? 
 
会場では、このエピソードについてこんな意見が出てきました。

「1回なら許せるけど、何度も同じ失敗を繰り返されると『改善しようと努力してない』って感じるから、イヤだなって思う」
「さるは彼なりに失くさない努力をしているかも」
「たとえ改善のための努力をしていても、ずっと頼られ続けるのはモヤモヤしそう」

また同じように「頼る」ことが発生しないように、相手が改善しようと努力しているか。その努力の有無が「許せる/許せない」の境界線になっているかもしれない……というのも一理ありそうです。
 
さて、あなたが頼られたときの「許せる/許せない」の境界線は、どのあたりにありそうでしょうか。うんうんと考えながら、次のパートに進んでみましょう。


「ひとりでできる」は、本当によいことなの?


そもそも「頼る/頼られる」について、もう少し論理立てて考えるヒントはないのでしょうか? 理論だったり、研究だったり、少し客観的に捉える手がかりがあると、考えやすくなりそうですよね。
 
そんなわけで、今回のワークショップでは、ゲストスピーカーに「頼る/頼られる」を考えるためのきっかけとなる話題を提供していただきました。

豊橋技術科学大学教授 岡田美智男さん

ゲストにお招きしたのは、豊橋技術科学大学で教授を務める岡田美智男さんです。岡田さんは人とロボットがコミュニケーションをする際に生じる「違和感」を手がかりに、「人と人はどのように関わり合っているのか」を探究しています。
 
まず、岡田さんは参加者に「皆さんは、『人に頼らず、何でもひとりでできるようになるべき』だと思っていますか?」と問いかけるところから、話を始めました。

岡田
「私たちは小さい頃から『ひとりでできる』を期待されますよね。たとえば、親御さんから『早くひとりで着替えられるようにならなきゃね』と言われたりする。そして、ひとりでできるようになると、得意げになります。

『ひとりでできる』がよしとされるのは、何も小さな頃だけではありません。学生の皆さんだって、テストはひとりで解くことが求められるし、高齢の方でも『まだまだ若い者の世話にはならん』と、なるべく他人を頼らないようにする人は多いです。

つまり、私たちは『ひとりでできる』をよしとされる文化の中に生まれ、いつの間にかそれがよいことだと無批判に信じるようになっているのです

こうした「何でもひとりでできること≒なるべく人を頼らないこと」をよしとする文化が私たちの根っこにあるから、「頼る/頼られる」に心理的な抵抗が生まれやすいのかもしれないと、岡田さんは指摘します。

また、岡田さんは最近の人間とロボットの関係の変化を例に出しながら、「頼る/頼られる」の構造的な特徴について、こんな話をしてくれました。

岡田
「ロボットの性能が上がって、人間がそれにどんどん大きな期待を寄せるようになると、『何かをしてもらう側(=人)』と『何かをしてくれる側(=ロボット)』の間に明確な線が引かれて、心理的な距離が生まれてしまいます。

では、距離が生まれるとどうなるか。最初は『助けてくれてありがとう』という心持ちだったのが、『もっといろいろやってくれないかな』と思うようになり、次第に『なんでちゃんとやってないんだ』と不満を募らせるようになるんですね。

つまり、『頼る/頼られる』の線引きが明確になればなるほど、『頼る側』が不寛容になってしまうんです。

こういった事態は、人と人の間でも生じ得ます。たとえば、学校教育の現場では、先生が授業の質を上げれば上げるほど『もっと大きな声で話してほしい』といった苦情が入りやすくなります。介護の現場でも、同じようなことが起こりがちです」

「頼られる側」が頑張るほど、「頼る側」の要求がどんどん大きくなってしまう……? それはモヤモヤしますし、健全な関係とは言えないような気もしますね。

「弱さ」の共有、できますか?

では、私たちがお互いに気持ちよく「頼る」「頼られる」には、どうしたらいいのでしょうか。そのヒントは「弱さ」にあるのではないか、と岡田さんは言います。
 
岡田さんはこれまでに、さまざまな「弱いロボット」を開発してきました。弱いロボットとは「他者からの手助けをうまく引き出し、目的を達成するロボット」のことで、その一例が「ゴミ箱ロボット」です。ぜひ、こちらの動画をご覧ください。

ゴミ箱ロボットは、自分でゴミを拾えません。人に近づいていって、誰かにゴミを拾ってもらうことによって、「街をきれいにする」という目的を果たします。ロボットが人を頼ってくる様子は、ちょっとかわいらしいですね。
 
「ゴミを集められない」というのは、ゴミ箱ロボットの弱点、つまり「弱さ」だという岡田さん。しかし、この「弱さ」こそが、理想的な「助ける/助けられる」の関係を引き出すトリガーになるのではないか、と指摘します。

岡田
「一方が『弱さ』をさらけ出すからこそ、もう一方に積極的な『助けたい、力になりたい』という気持ちが生まれます。実際、ゴミ箱ロボットにゴミを入れる子どもたちは、とてもよい顔をするんですね。

互いの弱さを見せ合って、カバーし合うことによって、心地よく助け合える関係をつくる。そんな“弱さの共有”こそが『頼る/頼られる』のバランスを考えるカギになるのではないかな、と思っています」

弱さの共有がカギ……「よし、じゃあ今日から自分も頑張って弱さを共有するぞ!」と言いたいところですが、それはなかなか難しそうですよね。
 
「弱さの共有」という言葉に、参加者たちは「なるほど」と納得しながらも「でも、それってどうすれば……」「弱さを見せて相手に幻滅されたくないよね……」といった声が聞こえてきました。
 
その反応を見るに、「頼る/頼られる」の苦手意識の背景には、岡田さんの言う通り「ひとりでできる」がよし、という価値観が大きく関わっていそうです。あなたは「弱さの共有」、できそうですか?

「頼る/頼られる」は同じ量になるのがいい? どうやって測る?

いきなり「弱さの共有」と言われても、ちょっと身構えてしまう。だけど、過去の「頼った/頼られた」経験を振り返ってみると、どんなふうに実践できそうか、ヒントが見つけやすくなるかもしれません。
 
そんな思いから、岡田さんのトークの後には、かつて自分が経験した「頼った/頼られた」エピソードを共有して、ほかの人と一緒に「それはOKか、NGか。なぜそう感じるのか」を考えるワークをしました。
 
こちらは、実際に共有された「頼った」エピソードの一例です。

「友人に横浜から福岡までの往復の運転をしてもらった」というエピソードについて、本人は「ちょっとNGだったかも」と思っているとのこと。けれども、ほかの人の多くは、「別にいいのでは?」と考えているようです。
 
さて、あなたはこの頼られ方、OKですか、それともNGでしょうか?
 
このエピソードについて、参加者たちからは次のような意見が出ました。

「自分も免許を持ってて、同じようなことを相手にしてあげられるのなら、分かりやすく『頼る/頼られる』のバランスが取れる気がする」
「同じことをしてあげても、人によって感じる価値はきっと違う。むしろ、相手ができないことをしてあげたほうがいいのでは?」
「人によって価値の感じ方が違うから、『頼る/頼られる』を同じくらいの負担感に調整するの、めちゃくちゃ難しいね……」

こうしたやり取りから、「頼る/頼られる」のバランスにおいて、岡田先生の話にあるように自分の弱みを見せながらお互いにちょうど良い頼り/頼られの関係を作っていくよりも、「定量的に同じくらいのギブアンドテイクが成立するかどうか」で判断している人が多いのかな、という印象を受けました。自分の弱みを周囲とコミュニケーションする難しさがそうさせるのかもしれません。
 
あなたはどう思いますか? 主観的で測りにくい「頼る/頼られる」のバランス、どうやったら気持ちよく折り合いがつくのでしょうか?

あなたにとって心地よい「頼る/頼られる」の在り方は?

さて、ここまでさまざまな角度で「頼る/頼られる」のバランスについて考えてきました。

「『ひとりでできる』がよし、という価値観が前提にあるのかも?」

「『弱さの共有』ができると、頼る/頼られるのバランスが取れそう?」「自分にとっての弱さってなんだろう、どうしたら共有しやすい?」

「量じゃないところで、頼る/頼られるのバランスを取るには、どんなコミュニケーションができるとよさそう?」

唯一の答えは見つかりませんでしたが、自分なりに考えていくためのヒントが、いくつか見えたのではないかな、と思います。
 
あなたは、どんなポイントが心に残りましたか? どんな新しい問いが、心に浮かび上がってきたでしょうか?
 
ぜひ、ここで拾えたヒントやモヤモヤを手がかりにしながら、身近な人と「ねえ、どうしたらもっとうまく『頼る/頼られる』ができるようになると思う?」と、話してみてもらえるとうれしいです。
 

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