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何度も閉じかけたPLCの可能性、「技術者の直感」を信じ続けた20年。〜IoT PLC技術 開発者インタビュー〜

国際標準規格に準拠したIoT PLC技術
コンセントで通信できれば、通信線はいらない。大きな期待とは裏腹に、遅々として規格化が進まなかった「電力線通信」=PLC(Power Line Communication)。パナソニック ホールディングス株式会社 テクノロジー本部の古賀 久雄は、最新のデータ解析手法「Wavelet理論※1」をPLCに応用させ、新たな技術を確立しました。

2000年代に世界中で開発競争が起こる中、PLCの規格化では後発だったパナソニックの逆転劇。その真価は、電力線特有のノイズや伝送特性を制した独自技術でした。国際標準規格に採用された後には、無線LANの普及で撤退寸前まで追い込まれるも、通信距離を飛躍的に引き上げる新機能によって再起し、今まさに飛躍しようとしています。コア技術からマルチホップ技術※2、最新のIEEE1901a技術まで、その開発の道のりを聞きました。

※1 Waveletとは、局在する波(有限長で速やかに減衰する波)の関数のことであり、データに対してWavelet変換を施すことで周波数解析などに用いられる。今回は、可逆変換である離散Wavelet変換の一種を活用。
※2 端末から他の端末へデータを次々にホップさせることで、通信距離を大幅に延ばす機能(通信ルート探索機能も備える)。

プロフィール

古賀 久雄 パナソニック ホールディングス株式会社

INTERVIEW:課題だらけの電力線通信、Wavelet理論を武器に一気にトップランナーに!

国際標準規格にも採用されているIoT PLC技術の開発のきっかけとは?

今では無線LANによる通信が家庭で普及していますが、実は工場やビル、店舗では力を発揮できないことが少なくありません。壁や扉のせいで電波が届きにくかったり、生産設備などにより電波遮断されたりするケースもあり、そういった場所では専用線を用いた通信が重宝されていますが、新設コストや納期、レイアウト変更の難しさが悩みの種でした。IoT PLCは行き交う電力に信号を相乗りさせることでデータ通信を可能とし、PLCアダプターを挿すだけという手軽さから、多くの方に関心を持っていただけました。

開発における課題とは?
電力線特有の「ノイズ」と「伝送特性」という2つの課題がありました。通信に最適化された専用線と異なり、通信を考慮に入れていない電力線は、家電機器の発する負荷ノイズや空中の飛来ノイズの影響をダイレクトに受けてしまいます。また、電力線では伝送特性による信号の減衰を防げません。これにより、送信した信号の波形が、受信するとまるで違う波形になってしまうのです。

通信の波は、複数の直交した大きな山(メインローブ)とその周囲の小さな山(サイドローブ)からなります。他の既存無線と共存するためには、サイドローブを低くして既存無線への干渉を軽減する設計が求められます。2000年から私はPLC開発に携わり始めましたが、当時一般的だったのは高速通信技術のFFT OFDM※3です。しかし、この方法ではサイドローブを低くできず、既存無線との共存が難しいために手詰まり感が漂っていました。

私が目を付けたのが、当時画像圧縮の分野で注目著しかったWavelet理論です。2000年にアメリカのベンチャーがこの理論を利用した通信に挑戦しているというニュースレターを見て、「性能もよさそうだし、既存のPLCと差別化できる」と直感しました。Waveletは大学時代の研究テーマのひとつで、この理論で低サイドローブ特性が実現できそうと感じ、PLC開発のチームに異動を直訴。これまでに類のない、Waveletに基づくPLC技術の開発に踏み切りました。
※3 複数の直交したサブキャリアを生成するためにフーリエ変換を用いる手法。

競合よりも協調で。仲間を増やして技術を高みへ

何もない状態からどのように開発を進めたのでしょうか?
Waveletは画像圧縮には多く利用されていましたが、通信技術に適用された事例がほとんどなく、世界中を探しても特許どころか論文すら見当たりませんでした。そのような中で毎日Waveletの専門書を読みあさり、半年ぐらいで送信はできるようにはなりましたが、受信してデータを元に戻す(復調)ことがなかなかできません。

半年間とにかく悩み続け、松下電器(現 パナソニック)のマルチメディア開発センターへの技術協力依頼の締め切りまであと2週間というタイミングでやっと受信のアイディアが浮かびました。あの時諦めていたら、今のIoT PLC技術はなかったでしょう。この後、共同研究がスタートし、本社研からの技術協力を得て、物理層の上にあるMAC層※4という領域をつくりあげることができました。これは、本社研との共創なしでは実現しませんでした。

技術の普及に足りないものとは?
全く新しい分野のため、評価方法すらありませんでした。当時日本ではPLCが法的に許されていなかったので、実証実験の場をアメリカに求めます。数人の技術者とともに渡米して、とにかく「お宅で測らせてください」とお願いして回りました。

レンガ造りが主流の東部、木造が多い西部と、アメリカは地域によって家がまるで別物です。飛行機で各地を飛び回り、家の大きさや寒暖の違うパターンなど多くのデータを取りました。実験を通して、私たちの技術が高いレベルで通用したことから「これならいける」と実感。日本でも2006年に屋内利用が解禁されるなど規制緩和が始まり、普及の機運が高まってきました。

2006年頃からは世界的にPLCブームが起き、日米欧がそれぞれの方式を掲げて各アライアンスを軸に国際標準の策定に向けて切磋琢磨しました。どの技術も一長一短ありましたが、パナソニックのIoT PLCが有利だったのは、カギとなる技術が全て社内で揃い、高い通信性能とさまざまな機能を持たせたからです。

評価をいただいたのは、完成度の高さ。多くの賛同者を得て、2010年に国際標準規格IEEE 1901に採用されました。日本発の通信に関するフルスペックの国際標準規格はかなり珍しいのですが、当初からパテントマップ(特許情報を調査・分析してまとめたもの)などを作成し、知的財産部門とも密に連携を取りながら知的財産化および標準化を行ったことが功を奏しました。

技術拡大の下地が整いましたが、その後どのように普及をめざされましたか?
しかし、そこから苦難の道のりが始まります。当時スマホの爆発的な広がりにより、家庭を中心に無線LANが普及しました。当時は住宅内の利用をもくろんでいたため、需要が霧散して全体で100人体制だったプロジェクトは10人規模にまで縮小。普通であればここで撤退しているかもしれませんが、商品開発からIPライセンスを行うためのIP開発へと大きく舵を切って生き残りました。そんな中、よりお客さまの声を意識して生み出したのが「マルチホップ機能」です。

広さが限られる個人宅であれば問題ありませんが、BtoBでは1対1の機器間通信だけでは距離が足りないという声が多く寄せられたのです。LS社(パナソニック株式会社 ライフソリューションズ社)から技術協力を得て誕生したマルチホップ機能によって、通信可能範囲は数キロまで広がりました。

2016年にこの機能を搭載すると、LS社の開発するスマートメーター用通信モジュールなどにPLCが取り入れられて再び脚光を浴びるようになりました。2019年には国際標準規格IEEE 1901aとしてリサンプリング技術を利用して高速化と長距離化を果たしましたが、さらなるお客さまの声に応える方法に今もチャレンジし続けています。

※4 Media Access Controlの略。多元接続に必要なプロトコルと制御機構を提供する。具体的には機器を識別するアドレス管理、信号の送信タイミング制御、フレームの組み立て・分解や誤り検出などを行う。

TECHNOLOGY

01 低サイドローブ特性によって干渉を大幅に軽減

Waveletの時間波形
Waveletの周波数スペクトル

PLCが利用する短波、2MHz~30MHzの通信帯域は、すでにアマチュア無線、船舶・航空機通信や短波放送などさまざま無線が使用しており、その利用を妨げないことが大前提でした。既存無線への干渉を防ぐためには、サイドローブを一定(30dB)以上低減させることがPLC業界のコンセンサスになっていました。

既存のPLCで使われていたFFT OFDMは高速フーリエ変換を活かしたもので、そのためにサイドローブの高さを抑えるにも技術的な限界がありました。

一方で、Waveletは局所的に波を起こすことが可能で、FFTの課題を克服できる可能性を持ちます。しかし、Waveletの波のパターンは無数に存在しており、通信に最適な波を探し当てるために、1年の月日を要しました。

02 「広がりのある新規格」にするための出願戦略

2000年代、PLC技術はアメリカ中心のHomePlug、ヨーロッパ中心のHomePNA(現在はHomeGridへ移行)、そして日本が推すIoT PLCの3つの方式が混在していました。それぞれが独自の進化を遂げる中、パナソニックは他方式でも利用できるような共通信号を定義して、異なる機器同士が状態を把握できるように開発。標準規格採用に大きな役割を果たしました。

また、開発初期から知的財産部門を巻き込んで、パテントマップを作成。欠かせない分野や技術をあらかじめリストアップして重点的に攻め、パナソニックが優位性をもって進められるようにパテント戦略を立てました。

IEEE1901を支える代表特許四つは2022年から2026年にかけて満了しますが、IEEE1901aの新技術にかかわる特許は2035年まで続きます。ソフトをはじめとする応用技術の進化にも注力しており、新規技術開発、特許出願、新規標準化が途切れなく続き、優位性を保つ好循環を戦略的に実現しています。

PRODUCT

本社のイノベーション推進部門である、テクノロジー本部が担当しているのは主にLSIの設計図とそれを動かすソフトの開発。ライセンス供与して他社が製造したLSIを搭載したPLCアダプターや同軸LANコンバーターを、パナソニックをはじめ各社が製造・販売しています。

【PLCアダプター】
2018年にはマルチホップ機能を新たに取り入れ、何台かのアダプターを経由することで、通信可能エリアを数キロの範囲まで延ばすことができました。レイアウト変更の頻度が高い工場や店舗での利用、電波が入りにくい地下施設や建設現場など、特にBtoB用途で広く利用されています。

また、無線LANとPLCの組み合わせも進んでいます。階ごとの通信を横方向に強い無線LANが担い、階をまたぐ通信をPLCが担うというソリューションを提案しています。

商品ページ:https://www2.panasonic.biz/jp/densetsu/haisen/plc-adapter/

【PoE給電機能付 同軸-LANコンバーター】
IEEE 1901に準拠し、PoE(Power over Ethernet)給電機能を搭載した同軸利用の有線通信機器です。PoE+で300メートル、PoEで500メートル、さらに外部電源で動作させた場合は最大2キロの長距離伝送が可能になっています。同軸ケーブルの両端に本機を接続するだけで通信が始まり、利用にあたって設定の必要はありません。

商品ページ:https://connect.panasonic.com/jp-ja/products-services/security_if/lineup/pr204-201-pc200

MY WORKPLACE:イノベーション推進部門 テクノロジー本部 美野島地区

PLC技術は約10人のメンバーで開発を行っていますが、仕事が多岐にわたるため、ひとり何役もこなしています。今までにないことにチャレンジしているのでベンチャーさながらの環境で、足りないものは工夫で補っているのが現状です。当然ですが、助け合うのが当たり前。とてもフラットで先輩後輩もなく、雑談の多い何でも言い合えるアットホームな職場ではないでしょうか。

手探りで答えがない開発ですが、一方で大きな成長を与えてくれます。実は、ここを卒業して異動されたのち、リーダーに抜てきされる方が多くいらっしゃいます。それは答えがない環境で自主的に動いていった結果、リーダーとして仕切れる人に自然となっていったのではと感じます。私はこの研究を始めて20年がたちますが、スタート時から今に至るまで本当に人に恵まれました。仲間とともに、これからも技術の先にある可能性を追求していきます。

MESSAGE & YELL:技術開発は「どれだけ多くの仲間がつくれるか」にかかっている

これまでの軌跡を振り返って、一番に何を思いますか。
20年前には社内表彰の受賞など想像もしておらず、このような規模が小さくて地味な技術を評価いただき、本当にうれしいです。前例がほとんどないゼロからのスタートでしたが、毎日が新しい発見でとにかく楽しく、どんなトラブルが起きても苦しいと思ったことはありません。私にとってはわが子のような存在で、できが悪い子ほどかわいいのかもしれませんが(笑)。

Waveletは技術の核ではありますが、全体から見ると一部分に過ぎません。自分一人で開発できることは限られており、むしろ「いかに人の力を借りるか」の方がはるかに大切でした。パナソニックがすごいのは、社内のあちこちで必要な技術に行き当たること。

IoT PLCの着想は、幅広い技術を持つパナソニックだから国際標準規格採用までたどり着けたと思います。「社内にこれだけ多くの技術があるのか」と驚くと同時に、ご協力いただいた多くの仲間に感謝申し上げたいです。

開発で詰まった時はどうしますか。
受信時の復調に悩んでいた時、ブレークスルーの発想はお風呂で思いつきました。リラックスしやすい時にアイディアが出やすいのか、私はいつも入浴中か就寝前がほとんどです。緊張しているのか職場ではアイディアが出ません(笑)。

開発する上で「最初の直感は正しい」と経験上感じています。Waveletも当初は理解しきれていませんでしたが、それは自分がまだ分かっていないだけでした。2000年代は猛然とベンチャーが業界に参入し、とにかく動きが速いこの業界で生き残るために必死でした。

若い技術者へメッセージをお願いします。
20年前から私の気持ちは変わらず、毎日が楽しい。紆余曲折はありましたが、松下幸之助創業者が言うように、やめるまでは失敗ではありません。しかし、開発を続けるには強い想いが欠かせません。そのため、私はいつも「短所を克服するより長所を伸ばそう」と言っています。私自身、量産よりも新規開発の方が明らかに向いており、伸び伸び仕事をさせていただきました。適材適所があるので、個性を伸ばすよう意識してみてください。

このPLCも、私は通過点にすぎないと思っています。事業としては、まだ会社に恩返しができていません。Bluetoothも一時期まではパッとせず、ある時から爆発的に普及していきましたが、IoT PLC技術も確実に時代にマッチしてきており、同じ可能性を感じています。

今後はこの技術を制御線に活かして、高速ニーズや長距離ニーズに応えると同時に、ワイヤレス給電と組み合わせてEVや電動自転車の充電時の"無線"データ通信(本技術の無線応用)も視野に入っています。また、太陽光発電などエネルギー分野への組み込みもさらに本格化させたい。「気づけば周りにある」という状況をめざしています。そのために欠かせないのは、競合より協調でしょう。これからも多くの仲間をつくって、IoT PLC技術で便利な社会にしていきます。

*記事の内容は取材当時のものです。


◆パナソニックグループ採用サイト

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