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ためらいながら、踏み込んだ。| パナソニックセンター東京 井上 祐子

時を戻そう。2011年3月11日14時46分。

私は職場であるショウルームのオフィスにいた。突然の大きな揺れに慌ててデスクの下にもぐった。
書庫ロッカーが倒れてくるのではないかと、本当に恐ろしかった。
揺れが収まってからヘルメットをかぶって、オフィスにいたスタッフ皆で防災訓練通りに館内のお客様に届くよう、大声で呼びかけながら非難した。

交通状況を調べよと言われ、確認しているとどんどん電車が不通になっていく。駅前でチラシ配布をお願いしていたアルバイトさんを思い出し、国際展示場駅へ迎えに走っていくと彼らはその場で立ちすくんでいた。有明駅が縦に大きく揺れたそうだ。

お客様も含め総勢300名位がイベントホールへ移動する。椅子や毛布、携帯充電の電源コードを用意し、非常食をお客様に配布。スタッフがせわしなく動く。

ホールの大きなスクリーンにNHKのニュースを映し出す。東北がすごいことになっている。黒い津波が平野を駆け抜ける映像を見て、まるで映画を観ているようだった。

そのうち、コンビニに食料を買い出しに行く人、歩いて帰るという人、それぞれに動き出す。
我々スタッフも、夜に一旦オフィスで休むよう指示があり、ようやく自席に着いた。
ほとんどのメンバーがオフィスで一夜を明かした。私はほとんど眠れなかった。

翌日、電車が動き出し、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、何とか帰宅した。
そこから、職場のショウルームは当面臨時閉館となり、スタッフは4月頃まで自宅待機となった。私の住むエリアでは停電が続いており、ポータブルの小さな液晶テレビで情報に触れていた。そのうち、時短営業のスーパーでトイレットペーパーや食品の買い占め騒動が起こり、街では信号も消灯状態、駅も最低限の照明だけで暗く、世の中が暗闇に覆われたようだった。
悲惨な状況がずっと流れているのをテレビで見るしかない日々、自然災害の前に私は何もできないと、無力感だけが深まっていく。

企業人として

地震発生後のGW明けぐらいだったろうか、すこし職場でも落ち着きを取り戻した。
「東北を応援したい」とスタッフ全員で案を出し合い、東北応援のイベントを検討し始めた。8月には「笑顔のちから みんなで東北応援!」イベントが開催された。
家電製品を展示しているフロアではアテンダントが節電ガイドツアーを実施、段ボールの大きなパネルにお客様が付箋に書いたメッセージを集めたり、東北物産展や、甲冑姿の伊達武将隊パフォーマンスに、東北のゆるキャラ登場で多くのお客様と写真に納まってもらった。岩手の「ちゃぶ台返し世界大会」を行ったときは、海外の方がネットで探して駆けつけてくれ、思い思いの言葉を叫んで、思い切りちゃぶ台をひっくり返していった。美味しく食べて、パフォーマンスを楽しんで、明るく盛り上がり、大盛況であった。また来年も継続しようと社員の意識も高まった。

ゆるキャラ登場(中の人はボランティア)


”あ、ここにボランティアに行こう”。そう思った。


一方、個人としては、地震発生から1か月後ぐらいだろうか。「岩手県の陸前高田市で、早々に仮設住宅建設の着手」とのニュースを見たのがきっかけだった。生活を取り戻そうといち早く動いた陸前高田市。そこから、いろいろ調べ始めて、7月に宮城県七ヶ浜、続いて岩手県陸前高田市のボランティアバスツアーに申し込んだ。
七ヶ浜では他のボランティアとペアで活動した。仮設住宅に住んでいる方に、困っていることはないか、熱中症になっていないかなど声をかけて回った。
陸前高田市へ行くと、海辺の番屋(漁師さんの作業場)が埋まっている泥をかいたり、名産の牡蠣を入れる発泡スチロールや網、浮き玉が大量にあちらこちらに散乱、そんな惨状を一つ一つ片付けていった。

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東京でも、津波で海水に浸かってしまった写真を洗浄して、被災者の方に返却するボランティアをしばらく続けた。
何度かいろんなボランティアに参加した結果、「一つの場所に続けて行きたい」と思うようになった。「岩手県北観光」(現:みちのりトラベル東北)という旅行代理店の「けっぱれ!東北ボランティアツアー」という企画1本に絞り、継続して参加することを決めた。
「けっぱれ」とは東北弁で「頑張れ」という意味だ。

2度3度と継続して参加していると、顔見知りが増えてくる。バスの添乗員さんもいつも同じ、すごく熱くて楽しくて生きる知恵を持っている人気者だ。訪問先も同じ場所を継続して支援することができ、その土地の方とも交流を持つことができた。
こうして私は、ボランティアを通して、これまで出会う事のなかった様々な立場の心の友ができた。彼らとは未だに繋がっているのだ。大きな禍であったのに、大きな絆を得られた。
現地の人たち、ボランティア仲間と会いたい、話をしたい、一緒にお困りごとを解決したい。私は、ますますボランティアにのめり込んでいった。

職場でも個人としても、東北応援の取り組みが交差する。

ボランティアを継続していると、現地のご依頼ごとも最初は瓦礫拾いが中心だったが、「その場所に花を植えたい」というお声に応え花畑を作ったり、河川敷に菜の花をまくといった活動に変わってきた。また、しばらくすると、「毛ガニ祭り」や物販など地元のイベント運営のお手伝いの依頼も増えてきた。

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少しずつではあるが、復興の手ごたえを感じられた。
それが高じて、歌舞伎ファンの私は、2014年に市川海老蔵の「ABMORI」という活動で長野県の志賀高原に森をつくるボランティアに参加したり、ボランティア仲間がオーナーとなり、千葉県の大山千枚田という棚田で米作りも始め、今ではご近所さんと野菜作りも行っている。ボランティアを通じて自然が大好きになり、私にとって植物を植え、育てることが、癒しになっていったのだ。

この他に台風による被害で民家の泥だしや、道の駅の泥に浸かった在庫の洗浄などチームワークよくこなしていった。この「けっぱれ隊」はものすごい底力を持っていた。
それは、指揮する添乗員さんが見事に皆を仕切り、その底力を存分に引き出した賜物であった。私は心の中で彼を「理想の上司」と呼んでいた。

こういったご縁に少しでも長くつながっていきたいと、2015年から毎年GWの繁忙期にに、沿岸の山田町にある「かき小屋」へ個人的に猫の手ボランティアを観光協会に頼み込み、皿洗いのお手伝いを継続している。

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その翌年、また大きな地震が起こった。
熊本地震、2016年4月14日21時26分。
私はその直後のGWに熊本へ飛んだ。これも単独ボランティアだ。
今まで培った経験を熊本で活かそうと思った。九州大分生まれでもあるのも一つの理由。
要領は心得ている。初めて出会った人とグループを組み、ご依頼先へ行き、様々対応した。

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2017年5月には、電機労連のツアーで、奇跡の一本松が残っている陸前高田市へ。
震災前は一本松の周りには7万本の松があったのだが、それがすべて流されてしまった。
その松を再生させるため植樹のボランティアを行っている。そこにも単独参加。
一人も悪くない。途中離団し、ボランティアで知り合った陸前高田の女性を訪ねて花畑へ寄り道するなど、自分の行きたいところへどんどん行った。

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2018年7月14日は岡山県真備地区の西日本豪雨による被害が大きく、これは現地集合で県をまたいで岩手県北観光のバスツアー、久々に仲間と再結集し、民家の復旧をグループに分かれて対応した。

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ここまで書き進めると、日本は本当に災害が多い国であるとひしひし感じる。
被災地に近い人たちがうまくボランティアとして、すぐに集結し機能するコミュニティははできないものか。頭の中でもやもやしながら考えることもある。


この10年で得たもの。

大きな自然災害がもたらしたもの。それは、多くの人命を失った深い悲しみ。
しかし、それだけではなかった。公私の活動で気づかされた。
私たちにできることは、「寄り添う心と行動力」「縁・絆を持続すること」「備え」である。
まずは深い悲しみにある人たちの気持ちに寄り添い、できることを探りながら少しずつ行動していくこと。決して無理はしない。

そして、そこでできたご縁や絆を継続していくこと。
被災地の人たちは、「私たちを忘れないでほしい」という気持ちがとても強い。
私は親せきが増えた感覚で、時々ふらっと会いに行く。
日常的にメールやSNSなどでもおしゃべりする。それでいいのだと思う。

また、「備え」は自分自身にとっても大切なこと。すぐに避難できる準備はできているか、買い占めなどせずに、トイレットペーパーや食料の買い置きはできているか。
職場では、定期的に防災訓練があるが、自分自身の避難場所や家族への連絡先、住んでいる地域のハザードマップなど理解しているか。
東北には「津波てんでんこ」という言葉がある。「津波が来たらとにかく一人ひとりがてんでんばらばらに高台へ逃げろ」という「自助」の言い伝え。幼稚園の子でもしっかりと理解しているそうだ。喉元過ぎれば熱さを忘れそうになる今日この頃、しっかりと見直したい。

ためらいながらも少し一歩踏み込んでみたら、多くの仲間との絆を得ることができた。
この10年間にできた私の一番の財産である。出会えた奇跡に感謝する。

今、コロナ禍にあり我慢の毎日が強いられているが、その中でも知恵をもってデジタルシフトや働き方改革が一気に進んだ。人間はその状況に合わせて何かを生み出していく生き物だと強く感じる。人間は大きな困難や災いにあった後ほど、大きく立ち上がる。ただでは起きない。人間は強いのだ。

最後に、私はオリンピックの聖火ランナーでもある。こんな復興への思いを抱きながら、その一瞬を駆け抜けたいと思っている。東北の皆様に思いが届きますように。

3月中は引き続き、関係者から寄せられた「#それぞれの10年」を綴った記事をご紹介させていただきます。


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