パナソニックがより良い未来へ進むための、羅針盤になりたい。
ボランチというポジションをやるようになって、またひとつサッカーがおもしろくなった。小学校1年生からサッカーを始めた荒巻航は、ゴールキーパー、フォワード、ディフェンダーとさまざまなポジンションを経験したが、ボランチになってからは、常に俯瞰しながらゲームを組み立てることに点を取る以上のたのしさを感じた。
大学で始めたアメリカンフットボールでも、練習以外の時間はスカウティング(相手チームの調査と分析)に誰よりも力を入れた。「何度も対戦相手のビデオを見て、全プレーをノートに書き起こして。このシチュエーションでやってくる確率がいちばん高いプレーは何か。それに対してこっちは何のプレーが有効なのか。ひたすら考え、グラウンドで試し、足りない能力を練習で補っていく。そうやって事前に立てたプランが、試合のなかでうまくハマったりするのが、最高におもしろかったんです」。
就職活動をするにあたり、マーケティングやプロモーションを希望職種としたのは、コピーライターだった父親の影響もあったが、市場を分析し、戦略を立て、商品やサービスの価値を伝えるという仕事が、どこかあのたのしさに通じているように思えたことも大きかった。
パナソニックに入社すると、希望通り国内向け家電のマーケティング部門に配属された。半年ほどの研修のあと、卓上の食洗機の担当となり、国内のマーケティングプロモーションの企画を立案することになった。本来ならターゲットが誰で、その人はどんな課題を抱えているか、そこに対してどんなアプローチが効果的かなどを熟考するのが通常の流れだ。しかし、荒巻の場合はさまざまな事情が重なって、通常通りにはいかなかった。
「当時は食洗機のことを知っている人が部署にまったくいなかったんです。私のところに問い合わせの電話がばんばん来るのですが何も答えられず、そのたびに商品企画の人に聞きに行ったりして。いろんな方の力を借りながら、毎日無我夢中で仕事をしていました」。
この仕事は商品のことが分からなければ、始まらない。そう思い、徹底的に商品の勉強をした。人に聞くだけでなく、時間があれば商品を分解し、すみずみまで理解しようとした。そうやって少しずつ仕事を覚えていった。やがて炊飯器や電子レンジなどの商品も担当するようになり、YouTubeや雑誌への出演、食フェスでのプレゼンなど、お客さまのニーズを満たすさまざまな施策を立案し、どんどん実行していった。
6年目。念願だった海外向けのキッチン家電の商品企画兼事業企画の担当になった。生活習慣が異なる海外のお客さまを理解し、ニーズを抽出し、商品をつくり発売まで持っていくのが仕事。実際に欧州のお客さまのお宅を訪問してお話を伺い、技術者や工場のメンバーたちと何度も議論を重ねるなど、良いと思ったことは何でもした。しかし状況もタイミングも悪かった。懸命な努力にもかかわらず、担当になって2年半で事業撤退することになった。
「私にとって大きな挫折でした。プロジェクトがうまくいかない時に、状況を打開するような戦略提言が何ひとつできなくて本当に悔しかった。物事をもっともっと多角的に捉えられるようになって、事業環境に合わせた適切な戦略を考えられるようにならないといけない。そう痛感したんです」。こうして荒巻は、経営企画の仕事を学ぶために本社(現 パナソニック ホールディングス株式会社)の経営戦略部門への異動を決めた。
現在の荒巻の仕事は、パナソニックグループの中長期戦略の策定。メガトレンド起点で10年先、20年先の社会に起こる変化を予測し、パナソニックグループにとっての事業機会・脅威を洞察、そこから逆算し自分たちがどういう戦略を取るべきかを考え、提案している。「私たちの仕事は、2〜3年後に何かインパクトを起こせるわけではありません。ですが、そのなかで行った意思決定、舵をきった方向というのが、このパナソニックグループの未来につながっていることを考えると、すごく責任を感じますね」。
成果が出るまで、長い時間がかかる仕事だ。今、自分が何ができているのかを感じることができず、最初は戸惑った。しかし、子どもができてから仕事への考え方が少し変わった。
「将来この子たちはどんな世界を生きていくんだろうって、よく考えるんです。ニュースとか見ていても、地球温暖化をはじめ、暗い話がいっぱい出てくるじゃないですか。でも、私は思うんです。未来は、もっとみんなが笑顔で生活できる豊かな世界であるべきだし、きっとそうなるって。このパナソニックという会社の力を考えると、そういったことに絶対に貢献できる。そう考えると、自分の仕事って最高にやりがいあるなって思うんです」。
<プロフィール>
*所属・内容等は取材当時のものです。