価値観を嗅ぎ分け、自らの哲学で説得する/テクニクス 井谷哲也
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価値観を嗅ぎ分け、自らの哲学で説得する/テクニクス 井谷哲也

何かを成し遂げるのに必要なのは、知識や経験以上に「それを実現したい」という情熱である――。

創業者・松下幸之助の仕事観は今日も私たちの指針となっています。
連載企画「Passion」では、パナソニック社員やプロジェクトに携わる社外の方々にお話しを伺い、それぞれが秘めた情熱の源泉を探っていきます。

今回話を聞いたのは、アプライアンス社テクニクス事業推進室チーフエンジニア/CTOの井谷哲也さんです。

1970年に発売されたターンテーブル「SP-10」が世界を席巻し、オーディオファン、音楽家たちに半世紀にわたって支持されてきたパナソニックのオーディオブランド「Technics(テクニクス)」。オーディオブームの終焉とともに2011年に惜まれながら事業中断するも、2014年に再始動。井谷さんは松下電器入社時と同じく、新生テクニクスで新たなオーディオの時代を模索しています。

そんな井谷さんがこれまでの道のりでぶつかった壁、ものづくりにおける原動力とはどのようなものなのか。株式会社アブストラクトエンジン 代表取締役パノラマティクス 主宰の齋藤精一さんが伺います。

聞き手/齋藤 精一(パノラマティクス)
文・構成/和田 拓也

「とにかく“世界一・世界初”を目指せ」

齋藤: 井谷さんはこどもの頃からものづくりが好きだったんでしょうか?

井谷: 私はいわる模型少年で、手を使ってものを作ることが好きでだったんですね。小学生のときにラジオを作った上級生がいることを文集で知って、「ラジオって自分で作れるんだ!」と。そこから電子工作に興味を持ち出して、徐々に高度なことをやるようになりました。

齋藤: 音楽にも興味は持っていたんですか?

井谷: そうですね。中学校1年のときにビートルズが解散したんですが、そこの頃に洋楽に洗礼をうけて音楽を始めました。ただ楽器を鳴らすよりも、録音や機材に興味関心が向いて、父の応接間にあるようなステレオをいじりたくなって、高校生のときにアンプやスピーカーを自作していましたよ。大学も電気系の学校に進学して、1980年に松下電器に就職しました。

齋藤: オーディオメーカーへの就職ではなかったんですね。

井谷: 当時はオーディオメーカーが花盛りでしたから、もちろん考えましたよ。でも、もっと色んなことができる総合メーカーがいいんじゃないかと勧められたのが大きいですね。

齋藤: そうなんですね。そこからどうテクニクスに関わっていったんでしょう?

井谷: オーディオ事業への配属希望が叶ってステレオ事業部に配属されました。1979年にターンテーブルシリーズ「SL-1200 Mk2」、レコードプレーヤー「SL-10」が発売されていまして、アナログ全盛の時代だったんですが、任された仕事はCDプレーヤーの開発でした。

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齋藤: テクニクスの雰囲気はどんなものでしたか?

井谷: 当時テクニクスだけでもかなりの事業がありまして、僕が所属していた部署だけでもエンジニアは約100人、テクニクス全体では300名くらいいましたね。

齋藤: そんなに!

井谷: 当時は、音響部門が一番売り上げが高かったですからね。事業部を支えるための研究部門がかなり充実していて、基礎技術が揃っているおかげでテクニクスも先進的なことができていたと思います。ダイレクトドライブ式のプレーヤーも研究部門の貢献がかなり大きかった。

齋藤: 技術で勝っていくんだ、と。1979年は音響システム「RAMSA」も松下から発表されるなど、様々な展開がされていましたよね。

井谷: そうですね。技術開発で他社にないことをやっていくというマインドが強かった。入社当時よく言われたのが、「とにかく“世界一・世界初”を目指せ」ということです。

僕らが若い頃は松下電器は「まねした電器」と揶揄されることもあっただけに、プライドを持って切り開く意識があったと思います。

それをすごく意識している先輩もたくさんいました。実験室のすみっこで何かコソコソやっているなと思ったら、先輩がある日「これみて見てよ」と。見てみたら、ものすごいものを作っているんですね(笑)。そうしたことが大変刺激になっていました。

他社の完成度に愕然とした、CDプレーヤー開発 

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齋藤: ものづくりのなかでぶつかった壁は、どのようなものでしたか?

井谷: 最大の壁は、やはり入社してすぐに携わったCDプレーヤーの開発でしたね。CDプレーヤーのシステム全体をコントロールするマイクロコントローラーを担当して、その基本的な考え方を構築したんですが、それはもう大変でしたよ。当時アナログ全盛でCDが普及するとは思われていませんでしたし、「しばらくは冷や飯食らいだな」といわれるような時代でした。

12センチの光ディスクはまだ世の中になく、半導体レーザー・DAコンバーターなど今では普通にあるものも、量産の目処もまるっきしついていませんでした。そんな状況で実務経験がない新入社員がいきなり「CDプレーヤーを作れ」と言われたけども、先輩も上司も経験がない。相談に行っても「俺もわからんわ」という感じでした。

齋藤: そこから、1982年10月に全メーカーが一斉にCDプレーヤーを発売したんですよね。入社まもなく最初の商品を出しときの感情はどのようなものでしたか?

井谷: 自分が作った商品が世の中に出て、雑誌を飾ったりお店に並んでいるのを見ると、やはりものをつくる者としては嬉しかったですね。わざわざお店に見に行ったりもしました。当時の最新技術なので鼻が高い部分はありましたから。ただ...。

齋藤: ただ?

井谷: 会社を挙げて作られていたSONYさんの一号機を見たときに、完成度の差に愕然としたんです。安定性が全然違いました。

また僕たちが最初にもっとも労力を割いたのは、曲の頭出しを正確かつ高速でできるCDプレーヤーで搭載された初の機能「ランダムアクセス」なんですが、残念ながら、東芝さんの製品が非常に速くて敵わなかった。技術が追いつかず、コンパクトなCDに対してデバイスも大型になってしまいましたね。市場が見えないものですから、今思えば「これぐらいでいいだろう」という甘えがあったようにも思います。

そのときは、「これじゃいかん」と思いましたよ。負けてるところが多いながらも、他社製品から学びながら、彼らの製品に負けないように改善しようと必死でしたね。本当に追い詰められていました。

事業中断も、テクニクスのDNAは受け継がれていた

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齋藤: そこから2011年にテクニクス事業は中断しますが、そのときはそのような心境でしたか?

井谷: 1986年までテクニクスのCDプレーヤーに携わった後は、実はテクニクスを離れてビデオディスクやDVD、ブルーレイと、25年ほど映像系のエンジニアを生業にしていました。

中断したときはDVD、ブルーレイの仕事をやっていたのですが、個人的に残念だと思いつつも、テクニクスのフィロソフィーは受け継ぎながら仕事をしている気持ちでいまして。

齋藤: テクニクスがなくなった感覚はあまりなかった?

井谷: そうですね。映像とはいっても、DVD、ブルーレイは技術的にCDの延長線上です。映像の高画質化を担当していたので、画質においてテクニクスのマインドを受け継いでやっている意識というか、誇りのようなものがありました。デジタルカメラのルミックス事業にしても昔のテクニクスのようなフィロソフィーですし、テクニクスのDNAはいろんな分野で生きていると感じます。

齋藤: 一方、2011年のテクニクス復活が決まったときはどのような心境でしたか?

井谷: 復活のときは、やはり非常に嬉しかったですよね。なくなってしまったものを自分の手でもう一度復活させられるのは名誉なことです。

2010年にオーディオ部門とビデオ部門がひとつの事業体に統合されたんですが、当時の上司である事業部長から「君がやっていることはオーディオにとってとても大事。若いころにオーディオをやっていた経験もあるのだから、オーディオ事業をみてくれ」と言われ、またテクニクスに携わることになりました。テクニクスの最盛期は千億円規模の事業だったのが、復活したときは何百分の一の規模。「どこまでできるのか」と、身が引き締まる思いでしたね。

新生テクニクスの新たな哲学

齋藤: 復活した新生テクニクスが目指すものはどのようなものでしょうか?

井谷: やはり、世界初・世界一の技術を目指すというかつてのDNAは引き継いでいかないといけないと思います。ただ技術へのパッションはありつつ、新しい時代のお客さんが求めているものを、しっかりとケアしていかないといけません。

齋藤: といいますと?

井谷: 昔のテクニクスはなんといって技術開発がポイントでスペック重視でした。「テクニクスは原音再生で、なぜなら周波性特性がうんぬん....」みたいな考え方でした。今の時代は技術があることは当たり前で、それ以上に素晴らしい音楽性を発揮する製品かが非常に重要です。そこにしっかりとフォーカスしていくということですね。

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齋藤: 技術に加えて「エモーション」を製品に注入していこうということですよね。SL、SPシリーズが復活して新たなSUシリーズも開発されましたが、そこには新しい哲学が入っていると。

井谷: そうですね。携わる人間にもそういったところが反映されていると感じます。テクニクス復活をアナウンスして以降、「テクニクスに入りたい」というエンジニアが随分集まりました。彼らはエンジニアであると同時に、音楽的素養がある人が多いんです。

彼らは、自分の得意な音楽の分野でフィードバックやジャッジします。テクニクスのトップ(小川理子)がジャズピアニストなので、彼女もジャズピアニストの耳でジャッジします。技術的な側面と音楽的な側面から音を詰める文化といいますか、風土が新たに出来上がったように思います。


価値観を嗅ぎ分け、テクニクスの言葉で説得していく

齋藤: 新しい世代に哲学を共有し、新しいものを世に送り出していく原動力は何ですか?

井谷: 今どき優等生的な話になってしまいますが、やはり「お客さんに喜んでもらえること」です。

松下電器創業者の松下幸之助が言っていた言葉なのですが、本当にそうだなと思います。仕事柄もあって世界中のお客さんと話をしますが「あの製品使ってるよ」「いいものができましたね」と言われたときは、大きな喜びがあります。それに誇りを持つことが原動力でしょうか。その喜びは、若い人たちにも知って欲しいです。

パナソニックは横断的かつ潤沢にものを供給するので、テクニクスはジェネラルオーディオ的なフィロソフィーかと思われたりもするんですが、テクニクスを好きでいてくれるお客さんは、一般的なパナソニックのお客さんとは異なる価値観を持つ側面があります。

若い人たちによく伝えるのは、そうしたお客さんの価値観を嗅ぎ分けて、私たちの作るもの、私たちの言葉や哲学で説得していく。そこに共鳴して買ってくれた方々が、我々のイメージを作り上げてくれるのだと思います。


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