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一期一会 ~「知る」こと、「考える」こと~ | 東京都立富士高等学校2年 服部有妙

2021年3月11日。
2011年3月11日に起きた東日本大震災から10年が経つ。
この10年の間、私たちは何ができただろうか。

10年前、私は小学校1年生だった。
小学校から帰ってきて、車に乗って移動していたとき。
「ねぇ、今車揺らしてる?」
そう父が5歳の弟に向かって言っていたのは、今でも鮮明に覚えている。
「ううん、揺らしてないよ」
弟がそう答えた後、車の窓から外を見て初めて電柱が揺れていることに気が付いた。
それからすぐに家に帰って、テレビをつけた。
そこに映っていたのは、だれもが一度は目にしたことがある、言葉で言い表すことのできないあの光景だった。
大きな黒い波が看板や車、家までもを飲み込んでいく映像。
そんな光景を見たのは、初めてだった。
そしてその映像は、7歳だった私にとって衝撃的でありながら、どこか現実味のないものだったように思う。
その感想は、10年経って17歳になった今もあまり変わらない。
幸い、私の家や家族は被害にあわなかったし、東北方面に住んでいる知り合いもいないからだ。

でも、だから良いというわけにはいかない。
多くの人の命が奪われ、たくさんのものが失われた。
その事実は誰もがわかっているだろう。
じゃあ逆に、その中で私たちは何を得られただろうか。
ひとつは【経験】だと思う。

2021年2月13日、福島県沖を震源とする地震が発生したとこは記憶に新しい。
私はその数日後にニュースを見た。
ある自治体が地震から約1時間後に、コロナ禍であるにもかかわらず避難所を開設したというものだ。
この素早い対応の裏には、やはり10年前の東日本大震災での【経験】があると私は思う。
言い方は悪いかもしれないが、10年前に得た【経験】があったから、今に活かすことができた。
実際に被害を受けた地域では、このように少なからず未来に繋がる”何か”を得ているように感じる。

それでは、被害にあわなかった私は?
ただテレビの画面を見ることしかできなかった私は、何ができるのか。
私は、東日本大震災を【知る】ことではないかと思う。
テレビで一方的に流れてくる情報に受け身でいるのではなく、自分で調べて、知って、そして【考える】。
切り取られた情報だけでなく、実際に現地に足を運んだり、被害にあった方から話を聞いたり。
そこまで大きな事が出来なくとも、今は発達したインターネットがある。
そうやって現実を【知る】、そして情報を比べたり選んだりした上で深く【考える】。
1人でも多くの人が少しずつでもそうやっていけば、この大きな地震を風化させることなく将来へと繋げていけるのではないだろうか。
そして、地震が絶えない地震大国ともいわれる日本で、いざという時に命を守れるかもしれない。

そしてこれはきっと、地震だけの話じゃない。
今、世界中を巻き込んでパンデミックと化したコロナウイルスにも通じるはずだ。
マスクやトイレットペーパーが売り切れる。
お湯を飲むといい。
一瞬でデマが広がる現代で求められるのは、やはり正しく物事を【知る】こと、そして情報を選んで深く自分の頭で【考える】ことだと思う。
こういうことを言うのは簡単だ。
だが、行動に移すには勇気がいる。
私はこうして文字にした以上、【知る】こと、【考える】ことを心がけて行動できる人間でいたい。
そして、そういう人が増えてほしいと思う。

これが、17歳の私にできる最大限だ。

震災から10年を迎えた今。
日本は、いえ、世界は未曾有の事態に直面しています。

そのような困難な状況でも、未来を見据え、力強く生きようとする若い世代の人々がいます。

3月中、パナソニック_ソウゾウノートでは、震災から10年を迎えた日本に向けて、そして新たな壁を乗り越えようとしている世界に向けて、次世代から寄せられたメッセージを掲載していきます。

協力:文化プログラムプレスセンター


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