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「マイクロ流路」の量産がPCR検査やワクチン開発に革命をもたらす。~ガラスモールド工法~

新型コロナウィルス禍が世界を覆うなかで、PCR、抗原、抗体の検査やワクチン開発、創薬の重要性があらためて注目を集めています。近年、検査や創薬開発のスピードが加速していますが、そこに大きな貢献をしているのが「マイクロ流路」を持ったマイクロ化学チップと呼ばれるデバイスです。そして「マイクロ流路」の量産の"鍵"となる技術を握っているのがパナソニックです。
今回は、「マイクロ流路」の量産技術の開発に取り組むパナソニック株式会社 テクノロジー本部の鈴木哲也と、マイクロ化学チップの事業化を進めているマイクロ化学技研株式会社の田澤英克さまに話を聞きました。

マイクロメートル幅の「流路」が実現する極小の実験室

マイクロ化学チップは、樹脂やガラスの薄い板のなかに、髪の毛ほどの太さの「流路」が複雑なルートで形成されている小さなプレートです。この「流路」に、検査をしたい検体(血液の溶液など)を流し、流れていく途中でさまざまな試薬を合流させることで反応させ、反応の仕方で検査結果を得ることができます。

つまり、「流路」の長さや合流の仕方を厳密に設計し、検体と試薬の量と合流のタイミングを最適にコントロールすることで、通常なら人やロボットの手によってフラスコやスポイトを使って行わなければいけない化学反応実験を、小さなチップのなかで行うことが可能になるのです。

マイクロ化学技研株式会社 田澤英克さま

田澤さま:マイクロ化学チップは、いわば"極小のビーカーやフラスコ"です。マイクロ化学チップによって、あらゆるサイエンス分野で、研究・開発にかかる時間の大幅な短縮と高効率化が可能となります。さらに試薬量・廃液量の低減、省スペース、携帯性など、さまざまなメリットを得ることができます。液体を反応させる量が微量な分、反応時間が短くて済み、加熱冷却も瞬時にできるのです。

たとえば重金属の含有量を調べるのに、これまでのパッチ分析は3時間かかっていたが、マイクロ化学チップを使えば50秒で分析できるという。

マイクロ流路の応用の場は、多岐にわたります。すでにPCR検査ではマイクロ流路を利用する検査機が普及していっていますし、次世代シーケンサーと呼ばれるゲノム解析用装置では、解析精度を左右する検体の「前処理」にマイクロ流路を使うことが主流となりつつあります。医療においては、病院はもちろん将来は自宅でも、患者が自身でさまざまな検査ができるようになるでしょう。

ゲノム解析でも「前処理」段階でマイクロ流路が活用されることで検査の速度と精度が上がっている。

化学・製薬のプラントでは、合成の実験をこれまでの数倍のスピードで回せるようになります。マイクロ化学チップをIoT端末として使い、住宅地や工場に出入りする水の水質を常時分析することもできます。また、スマート農業でも、チップで水耕栽培の肥料液の濃度をセンシングすることで、供給する肥料液の濃度を自動制御することも可能になってきます。

水耕栽培の自動化でもマイクロ流路が活躍しようとしている。

つまりマイクロ化学チップは、今後、私たちの医療、環境、食などさまざまな領域を支えるインフラのひとつになるものです。そのためには大量に使われるよう、安く、しかも設計通りに量産されることが重要です。プラスチックやシリコンゴムのチップは量産できますが、耐薬品や強度の点で難があり、熱で変形したり、流路の平滑度が足りないといった欠点もあります。理想の素材はガラスなのです。しかし、1マイクロメートル単位の「流路」を正確につくるには、1枚ずつガラスエッチング(薬品で腐食させる)で溝を掘るしかありませんでした。この手法だと1枚数万円もかかってしまいます。将来的にはガラス製のチップをプラスチックのような価格で量産できれば...。そんな私たちの夢をパナソニックの技術が実現してくれるんです。

磨き尽くした技術を今、活かす

ガラスのマイクロ化学チップを量産できないか...この夢を実現したのが、パナソニックの「ガラスモールド工法」です。「ガラスモールド工法」とは、ガラスを高温高圧でプレスし、設計された型通りに精密に量産する技術。CDやDVD、デジタルカメラやセンサーの非球面レンズを量産する工法として、パナソニックでは30年以上にわたり磨き上げてきました。

ガラスモールド工法によって生産されている非球面レンズは、形状の精度と仕上げ面の滑らかさによって音響、映像機器の画期的な性能を生み出す。

非球面レンズと同様、マイクロ化学チップの製造においても、金型加工、成型、そして量産という工程はそれぞれに高い技術力が不可欠です。

金型でガラスに流路を成型した後、平板ガラスを重ねることで、ガラスのなかに複雑な流路ができ上がる。

マイクロ化学チップ量産化技術の共同開発をマイクロ化学技研と進めているのは、パナソニックのテクノロジー本部 デジタル・AI技術センターの鈴木哲也です。

パナソニック ホールディングス株式会社 鈴木哲也

鈴木:金型加工はまず、鋼(スチール)の平面上を、数十μm~数百μmの幅の"路"を残して周囲を掘ります(放電加工)。次に独自の刃物と加工条件でサブミクロン(1万分の1ミリ)単位の精度に上げ(切削加工)、最後に職人による手磨きによって表面を鏡面化(磨き加工)します。これらの加工を重ねて、1万回以上の成型に耐える金型が生まれます。

「放電加工」「切削加工」を経て「磨き加工」された金型は、工芸品のような美しさ。
「磨き加工」はいまだに人が指先の感覚を研ぎ澄ませて一つひとつ磨くしかない、まさに職人技。鈴木自らが磨くことも。

次に成型です。重要なのが、金型からガラスを離す「離型技術」。600℃で溶けたガラスを数100kgf(キログラム重)の圧力で押し付けると、ガラスは金型にくっついて離れなくなります。ガラスがきれいに離れるよう、金型側にもガラス側にも特別な処理をします。この「離型技術」がガラスモールド工法の"肝"ですね。

成型では、温度と圧力の制御も結果を大きく左右します。数100℃のガラスを急いで冷やすと割れたり変形したりするんです。なので、膨張と収縮の過程を理解して成型してあげる必要があります。私はガラスの気持ちになることを心がけています(笑)。

もうひとつ、成型で難しいのが、エア(空気)の扱いです。凹凸のある金型に溶けたガラスを置くときに、中心から周辺にガラスを置いていってあげないと、どこかで空気が入ってしまいます。スマホに保護シートを貼るのと同じですね。もし空気が入ると、「流路」の一部に不要なスペースができる"転写不良"が起きてしまいます。

「割れ」や「エアによる"転写不良"」のない成型の実現をめざす。

成型を"流れ作業"で進めることで量産が実現します。非球面レンズを量産してきた私たちにはお手のものです。複数の金型をライン上に流しながら加熱~プレス~冷却していくフローを組みます。圧力と加熱・冷却の制御プログラムを見いだすことで、不良が少なく精度の高いマイクロ流路の量産ラインを実現します。

このガラスモールド工法によって、マイクロ化学チップの量産は、従来のガラスエッチング工法に比べ約1/10の低コスト化と、約10倍の高精度化が可能になったんです。

事業化、そしてSDGsへの貢献に向けて

ー今後、マイクロ化学チップ、そしてガラスモールド工法は、私たちの暮らしをどのように変えていくのでしょうか?そしてSDGsの達成にどのように貢献できるでしょうか?

田澤さま:マイクロ化学チップはSDGsの17の目標のさまざまな部分で貢献できると思います。ご紹介した医療、環境、農業分野以外にも、たとえばエネルギー分野では、燃料電池など新技術の開発の速度を上げてくれるでしょう。新たな栄養食品の研究開発にも役立つに違いありません。つまり、多岐にわたる領域で、SDGs目標への到達スピード向上とベネフィットの拡張、オートメーション化を実現し、下支えできると考えています。

鈴木:私たちが30年以上磨き上げてきたガラスモールド工法がマイクロ化学チップの量産を支え、それがひいては環境の改善や医療に役立つとは、非球面レンズを製造していた時代には想像もできませんでした。しかし、お役立ちの内容を具体的に知ると、A Better Worldづくりに貢献できていることを実感しますね。

最新の情報では、ノーベル賞を受賞された本庶佑先生が進められた「抗体医薬」の、さらに次に期待されているのが「核酸医薬」だそうで、そこでも薬効を患部に運ぶための仕組みを実現するために「マイクロ流路」が欠かせないと言われているそうです。SDGsへの貢献というと製品やサービスが注目されがちですが、ガラスモールド工法のような裏方の製造技術が実は大きな貢献をすることも知っていただきたいですね。

技術の強みを活かす領域へシフトする

ーマイクロ化学チップ量産のニーズに出会い、ガラスモールド技術があらためて私たちの暮らしに役立とうとしています。この出会いは、どのようにして生まれたのでしょう?

鈴木:パナソニックのガラスモールド技術は非球面レンズで大きく花開いた後、「回折レンズ」や国のプロジェクトの「微細構造素子」などで技術を磨き上げていったものの、大きな実用、事業にはなかなか落ちていかず、私たちは長い間、次のお役立ちを探していたんです。

そんななかで7年ほど前に知ったのが、1枚のチップのなかで化学合成する「マイクロトータルアナリシスシステム(マイクロTAS)」の世界です。私はマイクロチップのなかの微細加工にガラスモールド技術が役立つに違いないと思いました。同僚と2人で、「マイクロTAS」を研究している大学の先生に手当たり次第メールを送りました。すると、"パナソニック"の名前の威力か、皆さん、話を聞いてくださったんです。先生から先生につながって、東京大学の北森武彦先生が立ち上げられたベンチャー企業をご紹介いただきました。それがマイクロ化学技研株式会社でした。

今、パナソニック社内では"ニーズから入れ"と言われます。しかし、強いシーズを持っていれば、ニーズとの出会いが起こることもあります。シーズを磨き、熱意をもって出口を探すことも技術者には大切なのではないでしょうか。コア技術を大切にして、ストーリーをつくることが重要だと思います。

*記事の内容は取材当時のものです。


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