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ITという道具で、 現場のお困りごとを解決したい。

もしも人生を年表のように表すとしたら、池田倫咲の子ども時代は、ハッキリと2つの時期に分けることができた。演劇部に入る前と後。中学に入学した時、友だちに誘われて何となく入部した部だったが、そこでガラリと彼女は変わった。それこそ劇的に。舞台で表現することの喜びや素晴らしさを知ることで、人前に出るのが苦手だった彼女は、積極的に学級委員などを務めるようになったのだ。

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「自分たちが発信したものが、こんなにも人の心に響くんだっていうのがたのしくて。それにお芝居には、いろんなポジションの人がいて、女優さんとか、裏方の人とか。そういったポジションの人がそれぞれ自分のやるべきことにこだわって、こだわって、やっと成立します。誰がいちばんとか、そういうのはなくて、『みんな違って、みんないい』みたいな感じが心地よかった。作品毎にまったく違うポジションができるのもおもしろかったです」。大学の時にいろいろな事情から芝居をやめることになったが、これらの体験は彼女の生き方に大きく影響を与えることになった。

就職活動は苦戦した。文学部で古代日本の歴史という、仕事で役立てることがなさそうなことを専攻していたからかもしれない。パナソニックも、いちばんに入りたい会社ではなかった。でも内定がもらえた時、不思議としっくりきた。生まれ育った大阪の会社。大好きなこの地に恩返しをするために働くんだ。そう思うと「縁」を感じた。ふと、最終面接の日に、その年で初めての桜のつぼみを本社の構内で見つけたことを思い出した。緑の多い敷地と低い建物群の上に広がる青空、そして桜並木。都心の高層ビルの華やかさはなかったけれど、何故だか安心した。実家がある街とどこか似ていたからかもしれない。

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会社全体を俯瞰して見られるような仕事がいい。配属の希望を聞かれてそう答えた。商品や地域の枠をこえて、会社全体のありたい姿や道すじをデザインするような。イメージしていたのは「経営企画」だった。しかし、配属が発表された時、耳を疑った。「情報システム部門」。そんな名前、聞いたことがなかった。当然、何をする部署かも分からなかった。

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業務のなかの困りごとをIT技術を活用して解決し、事業活動を加速させていく。一言で言えばそんな仕事だ。会議のなかで行き交う言葉すら分からず、最初は戸惑った。「何百年も前の古文書や貴族の日記を見ていた私が、急にITとか、デジタルって言われて」。情報システム部門と言っても、実際にシステムを設計・開発する、いわゆるSE(システムエンジニア)ではなく、SEの部門と現場や経営層の間に立ち、課題解決を提案するのが仕事。参考にできる専門書も、役に立つ資格も一切なかったから、必要なものは全部、仕事をしながら身につけた。オンライン受発注システムの刷新や、社外からでも報告書の作成や上司の決裁が可能なサービスの開発など、彼女たちの仕事は、それまでの業務のやり方を大きく変えてしまうことになる。だから現場の人との一つひとつのコミュニケーションが欠かせない。

「現場には、いろんな背景を持った、いろんな価値観の人がいて、それぞれに幸せになってもらうにはどうしたらいいかなって、いつも考えています。その答えを、それぞれの分野に精通したメンバーたちと、知恵や知識を結集させて見つけていく。新しいシステムが稼働した現場の方から、『ありがとう』『便利になったよ』って言われるのが本当に嬉しくて」。いろんなポジションの人を活かす。そんなところが芝居と似ているかも。今の仕事を好きな理由をそんな風にも思う。そして仕事をやっていくうちにだんだん分かってきたことがある。「情報システム部門の仕事は、会社全体を見ながら、でも現場にも寄り添いながら、何をしたら良くなるのかということを考える仕事。私の最初の希望を叶えてもらっていたんだって」。

<プロフィール>

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池田 倫咲(いけだ りさ)
情報システム
ライフソリューションズ社
2008年入社 文学部卒
大学の時は日本史学を専攻。卒論は、平安王朝の姫について書いたという。「社会のなかで、女性がスポットを浴びて、ちゃんと意義のある仕事をしていた時代に興味があったんです」。

◆パナソニック採用HP
https://recruit.jpn.panasonic.com/

*所属・内容等は取材当時のものです。

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